週末は執筆、平日は資料作成や業務で夜遅くまで仕事をしている私にとって、人を訪ねる時間が不足することがとてもつらいことである。冬の間じゅう、森は雪で閉ざされてスタッドレスタイヤを持たない私は森にも訪れることができない。このことは私のストレスになっている。
事務所の周辺は閑静な住宅街で、3月ともなればチューリップがたくさん咲いている。花を見ると心が休まり心は自然の中に溶け込みたいと願う。
今日はアメリカに住む友人から瞬間帰国するのでこの時間帯は会えないかと連絡が入った。たまたまこの日は中国の人と会う予定が入っていた。彼はこの夜12時過ぎの羽田発でロスに戻る。その瞬時を割いて会いたいと連絡が入る。人の訪れはうれしい。
今日はさる大メーカーのキーマンに対する提案をお願いしたいと連絡が入った。このことも人の訪れである。それだけではなく幾つもの訪れがあった。
春の訪れ、夏の訪れ、秋の訪れ、冬の訪れ、そして人の訪れはいいものだ。寒い冬は誰しもいやなものだが冬があるから春がある。暖かい家の中で雪景色を楽しむのはいいものだ。けれども出会いと別れはセットだから春の訪れには冬との別れがセットで付いてくる。そして別れに対して日本人は美しい日本語を持っている。
一昨日は名残(なごり)雪が降った。最後の雪という意味だ。事は終わってしまったが気配が残っている。それが名残という言葉の意味である。
今日が最後の寒さのようだけれども春は桜の花が咲く頃まで三寒四温を繰り返し、桜が咲いても花冷えがある。私は人に連絡をしないで仕事を繰り返している。