東北地方復興に関しての有識者会議が行われたことを報道で知った。
津波と地震と放射能。三重の被害を受けた東北地方をどのように復興するかというテーマは早くからいろいろな意見が発表されていた。
総理は未来都市を創るのだと発言した。誰かの入れ知恵だろうと私は思った。この手の意見はネットでたくさんの識者が語っている。未来都市のモデルを作って世界に輸出することが成長戦略につながるという意見だ。文明論に遡れと提案する梅原猛氏や、地域の文化や伝統を組み入れて考えるべきだと主張する内館牧子氏などから、百家争鳴であった。
出席した県知事達は、とても付いていける議論ではないと真情を吐露した。
私は井上陽水の「傘がない」を思い出した。
未来都市を創るって議論しているけれど、今日の雨に傘がないことを、どうしてくれるんだと現場の叫びを唄っているように聴こえたからだ。
識者の声は人が住むことを前提にした発言とは思えない。そこには地域の言葉があり、古くから伝わる民謡や民話があり、伝統と文化がある。避難所には、あっという瞬間に、親を失い、子を失い、兄弟を失い、職を失い、住宅を失い、土地を失い、先祖の墓も失い、放射能汚染で帰る故里を失い、呆然とした人々の魂がある。
人は誰でも過去に戻ることはできない。何があっても前に進まないといけない。いつまでも自粛では済まない。いま生きている人よりも、未来の建設が大事だという意見も分からなくはない。いまのシャッター通りに商店街を再現しても意味がないことも分かる。
それぞれの知的レベル差に温度があり、その差がある。おかれた立場にも温度差がある。だから意見は百家争鳴となる。
現場は今日の雨に差す傘がない。それでも行かなくちゃ。君に会いに行かなくちゃと陽水は叫ぶ。
今日が最後の日だとしたらあなたはどうしますかという答えがここにある。
被災者は廃墟の町を見つからぬ家族を捜し歩く。行かなくちゃ。君に会いに行かなくちゃ。
もしかしたら難を逃れているかもしれない。会える場所としたら元住んでいた場所しかない。一縷の望みをいだいて被災地を捜し歩く人たち。
東北を未来型の近代都市に変えようと
今朝きた新聞の片隅に書いていた。
けれども・・・・・・