週末は仕事をしないで書名のタイトルを考えて過ごした。自然の中で時間を過ごせばもっと良いと感じた。親しい知人の実家は南相馬市にある。高台に建築したために津波の難は逃れたが放射能汚染で計画的避難対象になり、実家は3月11日のままで、親戚の家で避難生活を送っている。その知人から被災者は案外と立ち直って前向きに生きている。むしろ安全圏に住む人たちの方がくよくよしているとメールが入った。
安全圏にいる人たちは、失いたくないものを眺めながら失うことの恐さでおびえている。実際の被災者は肝が据わっている。この違いだろうとメールを読んで思った。
私は昨年末から週末はほとんど、執筆で過ごした。いわばONの状態で突っ走っていたわけである。おまけに目はドライアイが治っていないので余計に目に負担が掛かる。そして季節が冬であったこともよくない。OFFがあるからONがあることを忘れていた。
曽野綾子氏は、もし今日死ぬとしたら、今日が地球の終わりと考えたらあなたはカネを貸した相手に返せと訪ねるか。自分なら愛する家族の元に急いで戻って最後の時間を家族と暮らすと記述している。ジョブスは毎日、今日で自分は死ぬと考えていたら必ずその日が訪れる。そのときに何が大切かと言っている。
大切なことは、自分は今生きている確認をすること。いつかは死ぬのだと確認すること。その間は自分自身で自由な選択をすることができるのだということ。いずれにしても人間は前に進むしかない存在であること。前に進めばそこで新しい喜びがあること。その喜びを実現するために後ろを振り向かないで前に進もうと思うこと。被災者の肝が座っているということは、こういうことなのであろうかと思う。
電気事情から東京の夜は暗くなったが、逆に私はとてもよかったことだと思う。日本はいつから明るければよいとする文化になってしまったのだろうか。
いまは都会の夜道は暗くなったが陰影があっていい。光と闇が見えていい。光が見えない明るさっておかしいと思っていたから、ヨーロッパを歩くといつも夕方はいいなと思っていた。
星の王子さまを書いたフランスの作家サンテグジュペリは飛行機乗りでもあったが、彼の代表作でもある「夜間飛行」や「南方郵便機」では、昼から夜になるこの時間を実に美しい言葉で表現している。
昼が終わって夜に至る時間を黄昏時という。古文にこの言葉がたくさん残っている。黄昏は誰そ彼の意味だとも言う。この美しい時間が楽しめるようになったのは計画停電のおかげである。
私がふたたび家をつくるとしたら、天井には照明器具をつけないでフロアスタンドとデスクの照明、そして足元を照らす明かりだけで居室を設計したい。明るいだけの部屋はたくさんだ。
夜になっても日中のように明るい場所を過ごしていたのでは体内時計は調子を狂う。
この震災は多くの人々の人生を変えていったけれど、残された人々は、生き方を見直す大きなチャンスを与えられたのではないかと思う。
私も、少しずつ変容を遂げているのが分かる。人間としてのONとOFFがいかに大切かがよりわかるようになっている。