4月29日から30日は原稿の手直し、5月1日は提案書と見積書作成、5月2日打ち合わせ訪問、3日から7日では原稿執筆。8日は休み。GWはこんなスケジュールだ。
中国上海の3000社が加盟する経済団体向けにA4サイズで1枚程度で経営指針となる原稿を書いてほしいと依頼があった。書いて送ったら好評なので5月号は5枚に増やしてくれと注文があった。その締め切りがGW内である。
単行本はダイヤモンド社で出版が決まり、最終稿の締め切りが8日。
9日には編集会議に掛ける。だから待ったなしである。というわけでGWを仕事に当てはめたのはそんな事情である。
今日は事務所で昼休みに夭折した画家、安徳瑛氏の絵を眺めていた。次々と絵の様式を変えて、更なる高見を追いかけていく画家であった。ついた画商がよかったのか。よかった側面である。この画商は画家の絵を心底愛した。彼は100点以上、安徳画伯の絵を持っていて、大部分が非売品である。このような画商だったから安徳画伯をのびのびとさせたと思う。
安徳瑛氏は55歳で逝去した。こうして休日の事務所に出て安徳氏の絵を眺めていると、この画家は何を目指して突き進んでいったのかと思う。
安徳瑛画伯は持っている才能を精一杯キャンバスにぶつけたことで、6度にわたって自己変容を遂げている。この画家は何かを目指して突き進んでいったのだと思う。
人を突き動かすエネルギーってなんだろう。長期休暇をとって東北の震災被害地に駆けつける人のエネルギーはどこにあるのだろうか。心の奥底にあるエネルギーの正体はなんだろう。
詩人であり建築家である立原道造は24歳で急死した。立原にとって24歳は晩年であった。神のみが知ることであった。安徳氏は死の床で、画商に新しい様式を考えたので回復したら手がけてみたいと夢を語ったという。
人間にとって毎日が死ぬ日であり、毎日が誕生日であるということだ。確かなことはこれだけだ。だからそのことを知った人だけが突き進むエネルギーを持っているのだろうと、今日は安徳瑛氏の絵画を見つめながら、こんな心遊びをしていた次第である。