シチリアーナを聴くと、イタリアの田舎町が情景として浮かんでくるのはなぜだろう。情景には初老の人たちが登場してくる。彼らは人生の重みに耐えながらも口にしないで生きている人たちである。若者達もこの土地から抜け出したいと思いながらも古い束縛から逃げられずに耐えている。こうした情景にシチリアーナが奏でる物哀しい短調に、私は心を揺すぶられるのである。
はじめてシチリアーナを聴いた時に、この曲はシチリア島を情景にして作られた曲と思い込んでいた。
時を経て聴いたシチリアーナは、正確にはシチリアーノで男性名詞に変わり、JSバッハのものであった。けれどもどちらも短調で似たように物哀しく、前曲と同じようにイタリアの田舎町が思い浮かんだのである。
その次に聴いたシチリアーナは、また、メロディが異なっていた。けれども物哀しいメロディは、いままで聴いたものと何一つ変わらなかった。調べたらフォーレの作と書いてあった。
関心を持たないものは存在していないと同じだ。人間の目に見えたものがすべて存在を確認したのではない。見えても脳が関心を示さなければ見えていないと一緒だ。私はシチリアーナがなぜバッハなのか、同じタイトルで違うメロディが何曲もあるのか、なぜどれも切ないメロディなのかに関心を持った。関心を持ってシチリアーナに触れていくといろいろなことがわかってきた。
シチリアーナはルネサンス音楽末期からバロック音楽初期にあった短調の舞曲である。レスピーギのシチリアーナは、ルネサンス音楽の末期に作曲者不詳の『リュートのための古風な舞曲とアリア』第3組曲3曲として編曲されたものであることがわかった。バッハのシチリアーナはフルートソナタ第2楽章であることもわかった。
バロック時代になるとシチリアーナはヘンデル、やがてモーツアルトピアノ協奏曲23番やハイドンのアリアにも使われていることがわかった。19世紀の末にフォーレによってシチリアーナが復興されたこともわかった。
私はシチリアーナを聴くと物哀しいイタリアの田舎町の情景を思い出すのは、至極当然であると思った。束縛されたものから逃げ出すことができないことが、この切ないメロディを生んだのだと思う。音楽は生まれた時代とふるさとの景色をいつでも引きずっている。堅苦しい様式に縛られたルネサンスから、解放されたようにバロックは自由自在に様式を変えていく。
ルネサンスの古い様式に耐えながら新しいバロックの息吹が聞こえているこの狭間が、物哀しい曲が生んだのは仕方がないのだ。16世紀末に生きた人たちは、耐えることで一つの様式を守ったのだ。8分の6拍子、8分の12拍子のリズムは、緩やかなワルツにも聴こえるが、違う。
日本では平原綾香が、レスピーギのシチリアーナを静かに歌っている。
シチリアーナは、ルネサンス音楽時代に生まれた舞曲だから、哀切を帯びたとしても演歌のような歌い方にはならない。平原綾香のシチリアーナを聴いた人たちは、切ない、死んだ妻を思い出すと、心のひだに迫る感想を寄せている。