日本は、山が海に落ちているところが多い。三陸もそうだし北海道もそうだ。山陽も山陰もそうだ。九州でも四国でもそうだが、日本はなにしろ面積の70%が山だというから、当然のことである。
船に乗って日本をくるりと回ると、海と山がつながっている場所があまりにも多いことに気づく。島国だと実感するには、日本一周のクルージングを経験すると良い。かくのごとく人間の住む場所は日本では限られているのだ。
山から川が海に流れる場所は土砂が長年の年月を掛けて、海を埋めて平坦地をつくる。この平坦地に人が住む。
北海道では、下町、上町と区分けをしている場所が多い。石狩のように平野になっている場所ではないが、急峻なる山が海の間近に迫っている町では、海沿いの町を下町、山沿いの町を上町と呼ぶ。いうまでもなく上町には農商工業の人が住み、狭い下町には漁師や漁業関係者が住む。ふと思い出しただけでも、江刺町がそうであったし、広尾町もそうであった。
漁師が海のそばに住むのは、海と漁がつながっているからだ。漁師は早朝港に立って漁に出るかどうかを判断する。海に訊き、海の答えを聴くのだ。だから彼らは生きるために、海辺に住む。
宮城県の女川町で復興公聴会を開いた。復興案は下町に住む人たちを上町に移住させる案なのであるが、下町に住んでいる人たちから一斉反発があった。町長も反発に一定の理解を示したそうだ。漁師は海と暮らさなければ生きられない。それと集落のコミュニティが壊れるのを嫌う。
これほどまでの津波被災を受けても、人間は懲りない。『過去の習慣』に粘着しているからだ。
転んでも転んでも同じ道を歩むのが人間である。被災はやがて忘却のかなたに残され、時はすべてを引き連れて、進む。