我が家で暮らしている兄妹のポメラニアン犬のうち、妹が急死した。「11歳を過ぎている老犬なのだから天命を全うした。小型の犬はコロリと死ぬから」と獣医師は、慰めの言葉をかけた。
兄犬はふがいない妹をいたわりながら一緒に暮らした。寒い時には自分が覆いかぶさるようにして寝ていたし、毛繕いも兄の仕事であった。我が家の犬好きの面々は、床暖房と冷房を完備した3畳ほどの部屋を継ぎ足してこの兄妹に提供していた。
この兄は突然に姿を消した妹犬を探し続けていた。このとき妹は、病院の酸素吸入室でかろうじて息をしていた。夜中に電話が鳴って、いま死んだと連絡が入った。抱きかかえられて家に戻ってきた妹犬は眠っているようであった。長女が夜中に駆けつけて妹にすがるようにして泣き続けた。
翌日火葬場に連れて行くときにはじめて妹を兄に見せた。兄はさっと寄っていったが死んでいることがわかると驚いて家族に飛びついた。やがて妹は骨になって小さな器に入り帰宅した。
実は医師からは兄のカウントダウンが告げられていた。まさか妹が先に逝くとは家族は思っていなかった。
妹を探し続けている姿が不憫なのか。すがるようにして泣いている犬を愛した長女が不憫なのか。骨に変わった妹犬が不憫なのか。生きているころの愛らしい姿と比較して変わり果てた姿が不憫なのか。
今度はカウントダウンが始まっている兄の順番だと家族は思う。兄の甘えが5倍ほど増えて、いま兄は愛を妹の分まで足して求めている。愛玩犬が今を生きるとしたら愛を求め、愛を与えることだけだ。
私は泊まって行った長女と真夜中まで音楽の話をしていた。名指揮者カルロス・クライバーについてである。私たちはクライバーが得意とした、Jストラウスのこうもり序曲と、ブラームス交響曲4番の第一楽章をyoutubeで観て聴いた。
今日死ぬと思って過ごしていたら、その日は必ずやって来る。すると人生で何が大切かが分かってくる。ジョブスのいうとおりだ。
愛玩犬でありながら甘えることができずに過ごして死んだ、ささやかな犬の一生にも何かしらの真実はあるものだ。それを感じていたから我々親子は夜が更けるまでクライバーの話に花を咲かせていた。犬の死を取り巻く話はこれだけである。