なでしこジャパンの人気はすさまじい。メディアには、なでしこの一人ひとりを偶像化した美文で溢れている。それに歓喜する日本人。まるで北朝鮮と一緒だ。
日本人の心理は、恐いところにいるなと思う。憲政史上最悪の総理が居座っているから、あきれ返っている国民が、変わりに誰か新しい仮想リーダーを求めている。
大衆に迎合するメディアの美文調も困ったものだ。おそらく記者自身が感動して書いていることもあるが、デスクもその美文調を奨励しているのだろうと思う。偶像をつくることは、偶像に酔った読者を増やすことになる。
けれども偶像化された人間は、清く正しく生きていかないと、その偶像をつくったメディアの手でひきづり下ろされる。もう一部のタブロイド紙は、なでしこのメンバーを叩き始めている。自ら偶像化し、自らが偶像を壊す。この繰り返しがいまのメディアが行なっていることだ。
一番迷惑をしているのは、偶像化されたなでしこの人たちだ。外出する時の変装指示が出ているくらいだから、大変なことになっている。いつもくる商店街にはたくさんの報道陣と、ファンが待ち構えているらしい。
私はふと20年前のことを思い出した。
サンフランシスコの港で食事をしていたら、となりのテーブルにアンソニークイーンという俳優が二人づれで座った。アンソニークイーンは当時、世界的に有名な映画俳優であった。しかし周囲はそれと気がついていても、誰一人見向きも振り向きもしない。周りは一職業人として同等に見ているのだろうと思った。
なでしこを応援するなら試合を見に行くことだ。澤キャプテンはそれが何よりもうれしいと語っている。偶像化の旗を降ろそう。他人を偶像化して見ないことだ。
なでしこの勝利は賞賛に値するけれど、偶像化してはいけない。この人たちの活躍は偶像化されるべきではない。私たちがすることは、偶像化し賞賛することではなく、彼女たちの努力を自分自身に取り入れて自分を磨くことなのである。