私は47年ぶりに、蹴上(けあげ)の南禅寺に立っていた。
大阪空港に着いてから突然に午前中の時間がぽっかり空いた。知人は泊まるなら午前ではなく夜に会おうと持って行ったiPadにメールで知らせてくれた。
それから私は迷わず京都駅行きのバスに乗った。京都駅到着は10時15分予定。京都駅に戻る時間は12時ちょうど。私は、一箇所しか紅葉を見れないと思った。そして迷わず南禅寺に行こうと決めた。
この前に南禅寺に来たのは21歳の時であった。京都は100回以上も来ている勝手知った街だが、南禅寺は訪問しなかった。理由はあった。そっとしておきたい理由であった。
今回は望んでここに来た。指折り数えるとこの前は47年前であった。21歳の私と、68歳になる私の点がつながった。その間にあったいろいろなことはすべて吹き飛んだ。21歳の私と47年後の私が、ここで出会った。
不思議な感覚が襲ってきた。これが「人生は一箪の夢」という感覚だと思った。死を直前にした感覚ではないかと思った。私がいま突き進んでいる原動力は、死への対峙にあるとわかった。心の何処かでいつも死を見詰めているのだ。死は生と別のところにあるのではなく死も生の一つであることがわかった。私を突き動かしている正体は死そのものであった。死ぬことの恐怖ではなく、生きる密度を高めたいとするささやかな願いであった。しかし21歳と、68歳の二人がここにいて、お互いをマジマジと品定めしているこの感覚から抜け出さないといけないと思った。
次は88歳で再び南禅寺に来ようと思い込んだ。20年後だ。まだ未来に点がある。不思議な感覚はこれで消えると思っていたが叶わなかった。88歳で再びこの地を訪ねても、21歳の青年と、88歳の老人とが出会うだけだ。いま私を突き動かしているエネルギーも、何もかもが「一箪の夢」に過ぎなかったと思うだろう。この結論はただ一つ。何があっても前に進むだけが人間にできる唯一のことだ。前に進んで未来を変えることができるのは生きている人間の特権なのである。ふと南禅寺は私にとっては青春時代とつながっている特別の地であることに気づいた。それで不思議の体験をした意味がわかった。
それから永観堂に回った。ここで京都駅に戻る時間が来た。
京都市は地下鉄が2線走っている。東西線蹴上駅から南禅寺に向かうにはこのトンネルをくぐるのが早いと知っ た。この不思議なレンガのトンネルを潜り抜けたのがいけなかったのかもしれないと思いながら振り返った。47年 前はクルマで南禅寺に来た。今回は南禅寺の有名な石庭を見ようとは思わなかった。
私は京都駅で新幹線に飛び乗った。ホームで弁当を買って車内で食べているうちに新大阪駅に着いてしまった。 それから御堂筋線に乗って目指す駅に向かった。
御堂筋のイチョウは黄葉を始めていた。日曜日に投票が行なわれる大阪市長選は憎しみを持った戦いであった。ウグイス嬢は対手を汚い言葉を使ってののしっていた。私は御堂筋を歩いて目指す企業に向かった。47年の点と点がつながった不思議な感覚は、なんとも不思議な経験であった。