弘前は、荒れた天気であった。強風は天空で雲を呼んでいた。地上は雨模様であった。日曜日の朝、ホテルの部屋から外を見ると荒れた様子が目に映る。
弘前は青森県の中で特別な場所である。明治になって外国宣教師を招いて教育の都市にしようと試みた。キリスト教も普及し洋館が建ち並んだ。北前船が弘前から見ると岩木山を越えた日本海の港に寄ったこと。津軽藩の城下町でもあったこと。そこで弘前市は文化に多様性があって、いまでも宝石のような街である。和菓子が美味しい。津軽塗りがある。フランス料理店が多い。ケーキ屋さんが多い。津軽三味線がある。ねぶたがある。魚が新鮮。そしてなによりも城内言葉といわれる女性の津軽弁はぞくぞくとするほど美しいイントネーションを持つ。そして人情も厚い。温泉はあちこちにある。酒も美味い。
この地に訪ねたのは22年ぶりらしい。何で昔に戻るのか。前に進みすぎているので少し戻っているのである。前に進むことを信条としている私の脳は、時折もう一つの脳で後ろに戻ることをコントロールしてあげなければならない。こうして22年ぶりに訪問した地で、私はいくつもの出会いをしてきた。
墓参もその一つであった。私を兄のように慕ってくれたS君は今生きていれば61歳である。S君の兄とその長男に連れられて墓参を果たした。
夜はたら汁がでた。まだらと白子と野菜だけで、昆布とかつおぶしの出汁でつくる汁は絶品であった。
この街はもてなし度は料理の数で決まる。どう少なめに計算しても5000カロリー以上の料理が出た。5人前ですと私は言った。
翌日は、多くの人が集まってくれた。主人がお世話になりました。もう他界しましたと参加してくれた夫人もいた。季節は移り人を変えていく。私は日曜日の最終便で東京に戻った。