iPadは肌身から離せないほどの存在になっている。iPadを持ってさえいれば、いつでもどこでも興味の対象を詳しく知ることができる。iPadをインターネットを持ち歩くと例える人がいるが、私にとってはドラえもんがポケットから引き出す「どこでもドア」と同じなのだ。
本を読みたければ、いつでも読める。著作権の切れた本を扱う青空文庫に「どこでもドア」を使って訪問し膨大な本を無料で読むことができる。
リビアの街を見たければグーグルアース(Google earth)で、リビアの街に一足飛びだ。モンマルトルも一緒だ。アラスカでもケープタウンでも、地の果てまで世界中どこでも、「どこでもドア」を使って瞬間移動ができる。
音楽を聴きたければ、クライバンであろうと、ブラームスの3番であろうと、マリヤカラスであろうと、マドンナであろうと、中島みゆきであろうと、美空ひばりであろうと、三浦環であろうと、「どこでもドア」ですぐに飛び込める。そして動画で音楽を楽しめるのだ。
難解な思想を詳しく知りたければ、ウイキペディア百科事典で、この世にある形而上・形而下の森羅万象のほとんどを詳しく知ることができる。それが薄いPadを持つだけで実現できる。
絵画であろうと、ゲームであろうと、写真集であろうと、宇宙であろうと、森羅万象へ瞬間にたどり着ける「どこでもドア」がiPadなのだ。
そんなわけで、私はいつでもどこでもiPadを持ち歩いて、瞬時に森羅万象に旅をしている。
右脳人間の私にとって今年は新しいビジネスが本格的にスタートする記念すべき年だ。iPadが世に出たことで実現したことなのだ。