奄美大島が復帰50周年を祝って行なったイベント、「世界奄美人大会」で基調講演を行なったことがある。この奄美大島は、日本の縮図と言われている島である。島国日本は広いので、コンパクトな奄美大島を知れば日本全体を知ることができると言う意味である。
奄美大島には、世界のファッション界が知れば驚嘆するほどの技術を持った大島紬があり、ラム酒よりはるかに繊細な、サトウキビで作った黒糖焼酎があり、豊かな山と、その森で育まれた紺碧の海があり、年寄りを敬う精神があり、集落単位で強い絆を誇るムラ社会があり、神代から引き継がれている島唄があり、自然を崇拝する琉球教が残り、そして我慢強く素朴な人情がある。日本レベルに置き換えれば大島紬を先端技術に置き換え、黒糖焼酎を日本文化に置き換えるだけで通じるほどに似通っている。
奄美大島の豊かな土壌は農業に適していてマジカルなほどだが、なにしろ台風の通り道なので台風に強いサトウキビが農業の主製品である。国策で相当に保護されているサトウキビも、実際に扱ってみるとJA以外は儲からない構造になっていて、それがTPP参加ともなれば、壊滅的になることは分かっているから、みなはTPPに大反対をしている。
奄美大島のお隣、正確に言えば加計呂麻島、与路島、請島と3つの有人島を挟むのだが、徳之島は沖縄からの基地移転問題で大きく揺れた。普段は静かな人たちが大きな塊となって動いた。
際立った産業がない島なので、特殊な事情に鑑み、昭和29年から奄美群島振興開発特別措置法が施行され、通称奄振と呼ばれて今日まで続いている。しかしなんていうことはない。その大部分は山岳地帯にトンネルを掘って道路を作り、渋滞解消と言って海を埋めてバイパスを作り、あるいは不釣合いなほどに大きな箱物をつくって消化している。
話は変わる。
明治維新を果たした薩長の下級武士たちは、世界を知って尊皇攘夷から富国強兵政策へ転換する。その旗を振ったのが官僚であった。政府は官僚養成大学である東京帝国大学を設立し、以降、この大学の卒業生から官僚試験を合格したものが上級官僚となって、この国の牽引車となった。
官僚の欠点は、自分たちが頑張らなければ国の方向が間違えてしまうと考えているところだ。政治家は国民の代表者であって、専門性はないし、選挙で入れ替わる存在だが、官僚は定年まで保証されしかも専門性は極めて高い。官僚が日本を正しく牽引した時期は歴史を振り返ると明治維新から日露戦争までであったと作家の冷泉氏は語っている。
話は再び変わって、むかしサンフランシスコの経済界をリードする人たちに会いに行ったことがある。彼らはすべて投資会社やM&Aの企業経営者ばかりであった。そして彼らの対象となる産業は、当時IT業界とバイオ業界であった。投資会社もM&Aをコンサルティングする会社もたくさんの専門家を抱えてIT業界とバイオ業界を育てるために投資し、あるいはM&Aを支援した。こうした働きは大きな産業を生み出した。ITの発展は言うまでもなく、バイオの発展は画期的な新薬となって医療に多大な貢献をしている。
日本はお金の使い方が間違っている。機械を造って販売する高度経済成長時代のやり方を続けているから発展途上国の製品と競合することになる。日本は更なる価値を実現するサービスを世界に向けて提供しなければいけない。その育成に予算は振り当てられなければいけない。官僚が支配する時代はとっくの昔に終焉したのだ。政治家も官僚も気づいていないのは、既得権益を死守しようとしているからである。
さらに言えば日本はこれからどう進むのか、どこを目指すのか、そのためのプロセスは、そして体制はいかにあるべきかの道標を最初につくらなければいけないのである。綱領を持たない民主党にその実現はムリである。とはいえここまで日本の財務体質を悪くした張本人は自民党と官僚と一部財界であることを国民は知っている。だから国民は自民党をも支持しない。
野田総理は1月2日に放送した政府広報ラジオ番組で「国民に負担をお願いする以上、政府だけのそろばん勘定だと思われぬように、きちっと説得をしないといけない」。「行政改革もしないといけない。議員定数削減も不退転の決意でやる」と語ったそうだが、しないといけないはできないことの弁明だし、不退転の決意でやるはやれないという意味だし、増税と行政改革と議員定数削減を同時にできるはずがない。総理は首相経験者に増税が否決されたら解散をすると、解散権をちらつかせているようだが野党にとって解散は願ってもないチャンス到来だから、理由を付けて増税は参議院で否決するだろう。
解散総選挙になれば、民主単独政権はありえず、政界再編成は必至である。2012年は政治が機能せず、荒れることは分かっている。
国民の方がはるかに進んでしまっている。その乖離を埋めることはいまの政治家や官僚では困難である。それほどに官僚機構は肥大化しているからだ。しかしだからと言って放置はできない。政治も行政も透明化を進め、彼らに掛けるコストを大幅に下げることは新生日本のスタートだからである。この実現には強力なスーパー政治家が出てこない限りムリ。それは頭がよいだけの政治家にはできない仕事なのだ。2012年は、こうした時代背景を抱えてスタートした。