クルマの中からみる軽井沢の木々は、冬景色そのものだが、気温は高く、遅い春がやってきた。これから軽井沢は駆け足で若葉の時期を迎え、盛夏を迎える。暑い日々はそうは続くことはない。8月の夜は冷え込んで、ストーブを炊く家もある。こうしてすぐに紅葉を迎えることになる。駆け足で半年は過ぎ行き、また半年間は寒さの中に身を置くことになる。
しかし冬とて一色ではない。地球は自転し公転をする。地軸の傾きが四季を生み、標高950メートルの町は、緯度と経度と標高の3軸が加わって独自の季節感を生み出す。冬の様相は、住む人を以って一年で一番美しいという。
この日、軽井沢は観光客も少なく静かなたたずまいであった。毎年GW前の静けさは貴重であって、自然が観光客向けに春の装いを正していないことは知っていたが、そんな人間の都合に添ってくれないことはわかっているので、友に運転を頼んで私は助手席に座ったまま、軽井沢へ出かけたのであった。
午後3時に然林庵で会った建築家は、独自の進化を遂げたビジネスモデルを持っていた。古来の技術を持つ職人と組み、自身は設計と手配を行い、残りは職人に投げるやり方で、匠の技術を引き出して古来からの家を作るというものである。
建築途上の家を見せてもらったが、靴のまま家に入り、リビングは土を固めた土間である。風呂は室内から薪を使って炊く古い農家の有様である。
方流れの屋根で、一階32坪、二階はロフトで約8坪。上記のようにリビングは土間。
建築家のビジネスモデルは、「暮らし方を販売している」ものだと、思った。もっといえば生きる様を提案している。提案に協調した人が顧客になる。建築家の設計する家は質素で、とても建築家が入って意匠を凝らした家ではない。むしろ意匠は職人に丸投げである。
すると、建築家のアイデンティテイはどこに残るのかと思ったら、暮らし方の提案であることに気づいた次第である。
このスタイルは田舎暮らしである。
片方で軽井沢は非日常空間でもある。私はバラガンの様式が好きで、ランプと椅子があればそこに座って音楽を聴いていられる。けれどもそうした空間はホテルの一室のようなもので、ここに日常性はない。
どうすればよいのか。この課題を建築家は田舎暮らしというコンセプトで解決しているのだ。
この日は曇り空であった。建築家と現場で話をしていると夕方になって空気が冷えてきた。おいとまをした私たちは帰路に向かった。
季節に基点はない。公転にスタート基点はない。だから短い夏の始まりも本来は存在していない。けれども私にはこの自然が日々変化をしている一断面図を見ているに過ぎないと映った。だから短い夏の始まりと感じて不自然ではない。