高村光太郎
智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。
つつましくて満ちてゐて
星宿のやうに森厳で
山脈のやうに波うつて
いつでもうすいミストがかかり、
その造型の瑪瑙(めのう)質に
奥の知れないつやがあつた。
智恵子の裸形の背中の小さな黒子(ほくろ)まで
わたくしは意味ふかくおぼえてゐて、
今も記憶の歳月にみがかれた
その全存在が明滅する。
わたくしの手でもう一度、
あの造型を生むことは
自然の定めた約束であり、
そのためにわたくしに肉類が与へられ、
そのためにわたくしに畑の野菜が与へられ、
米と小麦と牛酪(バター)とがゆるされる。
智恵子の裸形をこの世にのこして
わたくしはやがて天然の素中(そちゆう)に帰らう。
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私がこの世にのこすべきものは仕事の集大成としてつくり上げた「i-BREA」である。
私は若いころに、何になりたいという希望も夢もなかった。会社を始めた時にも何になりたいということはなかった。ただその時々を、心の欲するままに時に常識を越えても突き進んできたに過ぎない。
後ろを振り向くと、それらがいくつもの点となっていて、点を結びつけると私の軌跡ができている。その頂点にiPadを使った営業支援システムがある。
私はこのシステムをつくるために生きて歩んできたわけではない。そんな使命感などない。
高村光太郎さえ、若いころに智恵子の裸形を残して天然の素中に帰らうとは思わなかったはずだ。
私にとって智恵子の裸形とは、i-BREAのことに他ならない。私がいままで歩んできた創作活動の集大成だから。
それから私は、自然の中で暮らしたいと思う。小さな畑を借りて野菜を作り、農業をやっている人と親しくしていきたい。もう手はずはすべて整えてある。すべてである。
そこから私はi-BREAを見守りながら、新たな創作活動に入る。