残された一頭のポメラニアンが本日死んだ。12歳の牡犬であった。妹犬が死んでから家族の愛情を一身に受けていた。やがて片目が見えなくなり、最後は両目が見えなくなった。匂いも分からず、耳も聞こえず、食もとらず、五つの衰えを人間の5倍の速度で私たちに見せてくれた。
そんな状態でいてもいつでも私を探し続けた。壁にぶつかり、テーブルの脚にぶつかり、私がいつでもするしぐさ、眉間を撫ぜ、耳の後ろを撫ぜ、下あごを撫ぜたことで、私と認識し、枯れた小枝のような尻尾をわずかに振った。
最後の5日間は食事も水も飲めなくなった。家人があらゆる手段を使って食べ物や水を与えようとしたが、受け付けなかった。やがて歩けなくなった。それでも時折ぬくっと立ち上がると家族を探した。スキンシップを受けると、その場に倒れるようにして横になっていた。
死は生の一部分である。だれでも体験するのだから悲しいことでも、怖がることでもない。
死は宇宙のリズムの一部分である。星でさえも誕生と死を繰り返している。地上の万物は地球と名づけた星が生んだもの。生命を中心に語ると生命誕生になるのだが、実は地球があるから生命が生まれたのだ。だから生命が星と同じ運命をたどるのは当たり前のことなのだ。
老犬は自らの老いと死を以って、いかに生きるべきかを家人に教えてくれた。
死は生きている人に、その日は必ずやって来ることを認識させてくれる。認識に対する結論は出ている。今日一日を前に向かって精一杯生きること。好きなことをやること。
こうして今日も一日が暮れた。低気圧がくるとみな不機嫌になる。肌の状態も悪化するらしい。みな地球の影響を受けて生きている。死を悲しむなかれ。死から生を学べ。