私は中高の6年間、生物部と吹奏楽部に所属していた。吹奏楽では主にバリトンを受け持っていた。伴奏もやるし裏旋律も奏でる魅力的なパートであった。音楽を志している先輩からは、音楽大学へ進めとしきりに勧められた。それに乗っていれば私の人生はいまとは全く変わっていた。どちらが正解ということではない。人間はやらなかったことを悔いやむものだ。
日曜日の仕事を早めに切り上げて家に戻り、風邪の療養に努めた。なにげなくyoutubeで、星条旗よ永遠なれを聴いた。それから、雷神とか、ボギー大佐とか、双頭の鷲の下にとか、錨を上げてとか、威風堂々とか、祝典行進曲とか、かつて私がバリトンで奏でた曲を片っ端から聴いた。
祝典行進曲は、いまの天皇両陛下の結婚を祝して団伊玖磨が作曲したマーチである。天皇のご成婚は1959年。私が16歳の時だ。むずかしい曲であったが皆で練習をして覚えた。
ここまで書いて、開業した翌年に、日本の作曲家を代表するY氏のご子息から、中国旅行に誘われたことを思い出した。団伊玖磨さんも含めて10人くらいの旅行なんですがぜひご一緒に行きましょうという誘いだった。行きたかったが当時は毎日仕事の連続でまとめた長期休暇は取れなかった。祝典行進曲を作曲した人と旅行に行くなんて思いもよらない誘いであった。
マーチは心を元気にする。それはそうだ。兵士を鼓舞する曲だからだ。芸術が持つ不思議を感じながらも、片方で、こんな曲を演奏していたんだという思いがふつふつと湧いた。
そこでボギー大佐に合わせて金管楽器の指使いを追ってみたら、指は音符をほとんど覚えていた。しかしマウスピースは(唇使いは)全くできないだろうとすぐ思った。なにしろ53年前に覚えたことなのだ。
マーチを戦争賛歌の音楽と決めつけてはいけない。マーチは行進する、堂々と歩くという意味であって、もちろん進軍するという意味もあるが、決して戦争賛歌の音楽ではない。こうして日曜日の夜に静かに聴いてみるとなんとも名曲が多いことか。
マーチは風邪を治すとは断定して言えない。芸術は空腹を癒さないが時に人の心に働きかけて命を救うことだってある。マーチを聴き終えた後、風邪は治らなかったが、なんとなく元気な気分になったことだけは確かである。