昨日は来社した知人と事務所から神楽坂へ歩いて飲みに出た。神楽坂は奥が深い飲食街で、最近ではどの店も新しい時代に合わせて衣を変えてきている。
これまで十分すぎるほど食べて飲んできているので、いまさら旨いも旨くないもないのだが、若向きの店を選んで、焼き鳥とワインの店を選んで入ってみた。
こちらは、これまでに本当に旨い焼き鳥を食べ、高価なワインを飲みこんでいるので、別に感動があるわけではないが、知人に言わせれば、私は高度経済成長時代に生きて、バブルも知っているので贅沢を知っているが今の若い人たちはバブルも知らず、失われた25年の時代に生まれて育っているわけだから、これで十分なのだという。
そう言われれば返す言葉はなく、ただ黙ってしまうわけだが、若者は贅沢は知らないがその代り、ネット文化を満喫していると、一緒に行った知人は説明をする。
メニューを見ると、特選焼き鳥コースというのがあって8本で1800円である。それにシャンパンのおすすめが一本3900円で2人で〆てお会計は8600円であった。
しかしこの水っぽい焼き鳥がなぜ特選コースなのかがわからなかった。この程度の焼き鳥を特選コースと名付け、私の知らないワインばかりが並んでいるワインを特選ワインといい、そういうものかと思って来店し、食べて飲んで大繁盛をしている店が増えてくると何が本物かが分からなくなる。
私は、ある外国車ディーラーの営業部長から聴いた話を知人にした。
求人を掛けるとたくさん応募があるが、訊くと新聞を読んでいない人が90%、つまり応募の90%は新聞を読んでいない、とっていないというのだ。何を読んでいるのかというとネットで活字を読んでいる。彼らが読んでいるのはAKBがどうしたとか、サッカーのだれがどうしたとか、それをネットで活字を読んでいると称している。・・・というわけだ。
時代背景に人間は翻弄されている。私があと15年早く生まれていたら太平洋戦争で徴兵されていた。私が400年前に生まれていたら戦国時代であった。そんな話は、「たらればの話」と一蹴してはいけない。私、服部隆幸は今を生きているけれど、戦国時代に生きた人も平安時代に生きた人もたくさんいた。すべては時代背景の影響をもろに受けて生きていたのだ。
かくいう私も新聞は取っているものの読まない。新聞が真実を語っていないからだ。本もあまり読まない。自分で創案する時に他人の考えが邪魔だからだ。それでは全く読まないかといえばそんなことはない。
最近は知れば知るほど知らないことが増えてきて、iPadは私にとって第二の脳みそになっている。
今日はタイヤを交換してきた。一時間に及ぶ作業を全部見てきた。全工程がわかった。帰りは別の車になったほど軽快に走った。
知人は、私を高度経済成長時代に生きて、バブルを経験した生き方だという。私の場合には、それに輪をかけて美意識という之繞(しんにゅう」)が付くから始末が悪いという。しかし、本物を知った人には必ず原理原則が見つかる。
原理原則という美意識がこれまでの既成事実を否定し、あたらしい時代を開く製品を創案したエネルギーの源泉となっていることも事実だ。
人間は時代背景に左右される。しかし平和な時代には、時代に流されずに生きていくこともできる。それには原理原則を持って生きること。それ以外にないのだ。