3連休の中日、我が家の庭は、晩秋の様相であった。そこで午前10時から作業を開始してたくさん実っている柿をもぎ取ることにした。手を伸ばすだけで一本の木から200個近い柿の実がとれた。脚立を使わないと手が届かない場所には、びっしりと鈴なりだ。全部取ったら、600個になるだろう。3本全部をとったら軽く1000個を超える。200個もあれば近隣に配っても十分すぎる。
だから多くの実は野鳥に残している。そこでわが庭には熟した柿を啄ばむ(ついばむ)ために、たくさんの野鳥が訪れる。
この木は昨年まで渋柿であった。渋を抜くために柿の蔕(へた)を焼酎にちょこっとつけてから黒いポリ袋に入れて、一週間くらい密封状態で保存する。こうした工程を経て口にしていたのだが、「なんということでしょう!今年は渋柿が甘いあま~い甘柿に変わっていたのでした」。
ふと庭に目をやると、毎年12月、庭師に手を入れてもらう庭は手入れをしていない林のように晩秋の様相であった。私はこの日、柿をとったらオフイスに出て仕事をすることにしていたが、庭師が入る前に少しは清掃をしようと思い立った。
午後3時まで鋏で伸びた枝を刈り、伸びた蔦を刈り、「雑草」と一絡げに名前を付けられた草たちを抜き取り、腰を曲げ、時には座り、大きな枝や葉の山をつくった。
次に山に鋏を入れ細かく砕いた。まるでミキサーにかけたように細かく砕いてポリ袋に入れた。
私は大きな自然との関わり合いを感じていた。こんな小さな庭にも宇宙は存在していたのであった。この作業を肉体労働というならいったい何十年振りのことだろう。驚いたことに背筋がピンと伸びて歩いていた。
それからクルマを出してオフイスに向かった。残りかけの仕事をやっつけないといけないのであった。しかし慣れないことをやったせいか、身体の疲れが節々で音を立てていた。そこで仕事をすることはやめて私の部屋にあるソファーに腰かけて、永田力画伯の絵を眺めながらiPadを広げ、中島みゆきを聴き入った。
「変わらない夢を流れに求めて
時の流れを止めて
変わらない夢を見たがる者たちと闘うため」
(中島みゆき 世情)
私の心境は
「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たちと闘うため!
私の変わらない夢を、流れ去るものに載せて」である。
(中島みゆき [世情]文脈を勝手にアレンジ)
大自然は冬至に向かってまっしぐらである。午後4時を過ぎれば夜のとばりが幕を落とす。春日の高台にある我がオフイスは都会では見ることができない、刻々と太陽が落下していく広い空を眺めることができる。
今日は月曜日。午前中小雨。午後から曇り。軽井沢の友人からは、濃霧ですと便りが届いた。
柿をとった昨日は平穏で静かな日曜日であった。