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浅間山は冠雪していた。18号仮宿付近から頂上を撮影した。江戸時代に追分宿に参勤交代の一行が宿泊する本陣があった。本陣は上級武士が宿泊し、下級武士や足軽などは分散して泊まった。仮宿は参勤交代時代の名残りで付いた地名である。
気温は暖かく降った雪は溶けているようだ。風もなく初冬の軽井沢は実に爽快だった。
雑木林はまだ紅葉の最中であった。今年の紅葉は長持ちをしていると友人はメールで知らせてくれた。
私は浅間サンラインを走って初冬の浅間山を眺めた。浅間山は見る場所によって姿を変える。これほどの大きな活火山がまじかにあることの恐怖を軽井沢へ来るたびに感じていたが、軽井沢人は浅間を暮らしの中心に置いて、浅間山の懐に抱かれて生活していることを知っているから恐怖感はない。次第に慣れますと人に言われたが確かに恐怖心は少しずつ薄れていった。
小諸市から見る浅間山は南面を向けているので冠雪は少ない。左の山が小浅間である。軽井沢はこの写真の右側面から浅間山をみることになる。
それから私は南ヶ丘に戻って、わが森を久しぶりに訪れた。葉が落ちたどろ柳は無数の穴が開いていた。キツツキの仕事である。キツツキは、樹木や住宅木壁のどこでも、ゴルフボールくらいの穴を何十と開ける。
今年は忙しさにかまけて手を入れなかったが、自然のままにしておくのが一番良いと思うようになった。枯葉はまた土に戻れるからである。
南ヶ丘も紅葉の名残はあった。「美しく装ってあなたが来るのを待っていたのに」と、言っているようにも思えた。その後に然林庵に足を向けたが主のない建物はひっそりとして、駐車場は、舞い降りた枯葉で埋もれていた。寂しくてとても写真を残す気にならなかった。
今年最後かなと思いながらやってきたが、本格的な冬の訪れ前にもう一度くらい来れるといいなと思った。
投稿情報: 12:04 | 個別ページ
晩秋と初冬はどこが境目なのだろう。軽井沢の住人は紅葉が終わったらすぐにスタッドレスタイヤに履き替えている。私は境目なく仕事をしている。
気がついたらWeeklyの原稿が4本、月間換算では16本。マンスリーに2回の原稿が2本。月間換算では4本。シーズンごとのマガジンが3社×4回で年間合計12本抱えている。全部を合計すると年間252本の原稿を書くことになる。嘘だろうと叫びたいくらいだ。だから私は執筆スケジュールを書かなくては到底管理できない。毎晩家につくのは夜の11時。寝るのは2時、。起きるのは7時。体に良いわけがない。
執筆は本業ではない。本業は別にある。
人生は旅の寄り道の連続で、ここでの出会いと別れだけが人生だと思う。私の定義では寄り道はローカルフラグに属する。しかしローカルフラグが一番大事な宝物だ。グローバルフラグは年々歳々のカレンダーに過ぎない。
しかしカレンダー上を人は歩く。気がついたらカレンダーをどれほどめくって歩いたのか。今や調べるのは超簡単だ。私は今日で25861日生きている。
そんなことは大事なことではない。誰と出逢い、誰と別れたか。旅の寄り道と称したローカルフラグ上にしか人生の真実はない。
しかし最後はローカルフラグさえも地上から消えてなくなる。残るはずがない。人間の心の問題だからだ。それでよいのだ。だから人間は過去にも縛られず、未来にも縛られず、現在からも縛られず、自由に生きるべきなのだ。
つなぎ目はどこか。そんなものはない。人生ではつなぎ目は一切ない。生の0.1秒後に死が来る。ここまでが生で、ここから先が死ですなんてつなぎ目はない。だからいまを自由に生きるしかないのだ。
投稿情報: 20:36 | 個別ページ
投稿情報: 10:04 | 個別ページ
3連休の中日、我が家の庭は、晩秋の様相であった。そこで午前10時から作業を開始してたくさん実っている柿をもぎ取ることにした。手を伸ばすだけで一本の木から200個近い柿の実がとれた。脚立を使わないと手が届かない場所には、びっしりと鈴なりだ。全部取ったら、600個になるだろう。3本全部をとったら軽く1000個を超える。200個もあれば近隣に配っても十分すぎる。
だから多くの実は野鳥に残している。そこでわが庭には熟した柿を啄ばむ(ついばむ)ために、たくさんの野鳥が訪れる。
この木は昨年まで渋柿であった。渋を抜くために柿の蔕(へた)を焼酎にちょこっとつけてから黒いポリ袋に入れて、一週間くらい密封状態で保存する。こうした工程を経て口にしていたのだが、「なんということでしょう!今年は渋柿が甘いあま~い甘柿に変わっていたのでした」。
ふと庭に目をやると、毎年12月、庭師に手を入れてもらう庭は手入れをしていない林のように晩秋の様相であった。私はこの日、柿をとったらオフイスに出て仕事をすることにしていたが、庭師が入る前に少しは清掃をしようと思い立った。
午後3時まで鋏で伸びた枝を刈り、伸びた蔦を刈り、「雑草」と一絡げに名前を付けられた草たちを抜き取り、腰を曲げ、時には座り、大きな枝や葉の山をつくった。
次に山に鋏を入れ細かく砕いた。まるでミキサーにかけたように細かく砕いてポリ袋に入れた。
私は大きな自然との関わり合いを感じていた。こんな小さな庭にも宇宙は存在していたのであった。この作業を肉体労働というならいったい何十年振りのことだろう。驚いたことに背筋がピンと伸びて歩いていた。
それからクルマを出してオフイスに向かった。残りかけの仕事をやっつけないといけないのであった。しかし慣れないことをやったせいか、身体の疲れが節々で音を立てていた。そこで仕事をすることはやめて私の部屋にあるソファーに腰かけて、永田力画伯の絵を眺めながらiPadを広げ、中島みゆきを聴き入った。
「変わらない夢を流れに求めて
時の流れを止めて
変わらない夢を見たがる者たちと闘うため」
(中島みゆき 世情)
私の心境は
「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たちと闘うため!
私の変わらない夢を、流れ去るものに載せて」である。
(中島みゆき [世情]文脈を勝手にアレンジ)
大自然は冬至に向かってまっしぐらである。午後4時を過ぎれば夜のとばりが幕を落とす。春日の高台にある我がオフイスは都会では見ることができない、刻々と太陽が落下していく広い空を眺めることができる。
今日は月曜日。午前中小雨。午後から曇り。軽井沢の友人からは、濃霧ですと便りが届いた。
柿をとった昨日は平穏で静かな日曜日であった。
投稿情報: 13:12 | 個別ページ
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