奄美大島笠利町の砂浜。以前は島のいたるところに砂浜があって波による陸への浸食を防ぎ、一方で陸地からの雨水が海へ汚れを運ぶことを防いでいた。
手前は防潮堤。人間が腰かける程度の防潮堤でも、できたことで砂浜は壊れ、無くなった。塩害は予想のつかないところで起きて植物を枯らしていった。降った雨はサトウキビ畑のアルカリ土壌化を促進する石灰分を持ちこんで、砂浜を経由しないで海に流れ込んだため海洋汚染が進んだ。陸地に近い海の底が白く光って見えるのはサンゴ礁のせいではなく、沈殿した石灰が太陽光を反射しているからである。
防潮堤の見直しが自民党で今日から始まっているようだ。総延長距離370Km。高さ14.7メートル。総予算8000億円。奈良の大仏より高い防潮堤。子孫にとてつもないつけを回す東北防潮堤。見直しは当たり前のことだ。
ただ、皆は景観の悪化、漁業への影響を問題にしているが、誰も海底から山頂までの連鎖が断ち切られる怖さについて言及をしていない。三陸の人たちは、海を守るには森を守ることを知っている。海と森とは連鎖していることを体験して知っている。牡蠣の養殖をする漁民は、森を整備することで豊かなミネラルを含んだ川水が海に流れ、ミネラルが多いことでプランクトンが育ち、海草が育ち、牡蠣も育つことを知っている。
地球は、長い時間を掛けて今の形をつくっていった。海と陸地。大地は、海底から山頂まで連鎖している。ここを海と陸地と隔てているのは肺呼吸をする人間だ。
肺呼吸もえら呼吸もできる高等生物がいたら海と陸を隔てたりしない。海と陸を自由に行き来するだろう。
砂浜に生える植物は海と陸地の境目を守るように役目を負っている。
私はこうしたことを奄美大島の大浜海浜公園にある奄美海洋展示館で学んだ。大浜海浜公園は東シナ海を人間の視界いっぱいに見渡せる絶景にあって、海底から山頂まで陸地が連鎖し、動植物が寄り添うようにして生きていることを学べる。そして展示館から外に出れば東シナ海の大海原が目に飛び込んでくるのだが、この大海原も海底から陸地は連鎖しているんだなと思い知らされる。
自然活動は宇宙活動に他ならない。人間がどれほど頑張ってみても宇宙活動に勝てるわけがない。自然の脅威にうち勝つため文明は生まれてきたが、東北地方の防潮堤に至っては文明を超え、権力者である政治と執行部門の行政が築き上げようとした驕りの壁に他ならない。何の驕りなのか、宇宙の働きには勝てるはずがないことを見失ってしまった哲学を持たぬ権力者の驕りなのである。資金を握り、権限を握れば何でも実現できると錯覚をしたことで驕りが起きたのだ。
防潮堤をつくって水門も確保してから町づくりを考えるというのが行政の考え方だが、これでは防潮堤がそびえたって人が住まない元、町であったエリアがたくさんできる。住民は1000年に一回起きる津波ために999年364日の日常を捨てて生き続けなければいけないのかと疑問を提している。それよりも津波が起きたらすぐに逃げられる避難道路をつくる方がベストな選択だと言っている。
自然の前に人間は謙虚にならなければいけない。どのように傲慢に思ったとしても人間は自然の一員であることから抜け出ることはできないのだから。
最近つくづく思う。人間は賢い脳と愚かな脳を同時に持っている。賢い脳も瞬時として愚かな脳に変わる。その逆もある。こうして個の人間も集団としての人類も過ちを繰り返す。
私は時折思い起こすようにして司馬遼太郎の子供たちに向けたエッセイを読み返している。
司馬遼太郎著 二十一世紀に生きる君たちに~一部分を抜粋
昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は・・・・繰り返すようだが・・・・自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
・・・・人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思い上がった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。
同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。
「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
このかんがえは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういう素直さを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。