沈丁花の香りが漂う季節になった。ようやくなった。春の訪れを誰よりも早く知らせてくれる沈丁花が大好きだ。昨夜オフィスから外へ出て春日の町を歩いていたら香りが漂ってきた。
すぐにきょろきょろと探したがその姿は見つからなかった。この沈丁花は三井邸の塀の向こう側に咲いているに違いない。
ワタシここにいるよ!
沈丁花はこう語りかけている。この花は小さくやや桃色掛かった白い花である。背が低いのでなかなか見つからない。それでもどこかに沈丁花が咲いている。それだけで春が来たことが感じ取れる。北風の日でも。
ワタシここにいるよは、人間に対してだけのメッセージではない。ほかの花が咲く前に、まだ冬の名残が残っている間に、誰よりも早く咲いて、たくさんの香りを放って、昆虫を花に集めて受粉をしようとする魂胆がある。
花も生きるために一生懸命なのだ。魂胆とは悪だくみのことではない。魂と胆のことだ。だから沈丁花が好きだ。
自然には一生懸命生きてないものはない。どれもが一生懸命生きている。
自然には欲張りすぎるものはいない。どれもが足るを知って自然に生きている。
私は沈丁花の香りが大好きだ。春の訪れを知らせてくれるから好きだ。たったそれだけのことにこの世のすべてを託しているから好きだ。今年も春を迎えられた喜びを教えてくれるから好きだ。無色無臭の空気に喜びの香りをつけてくれるから好きだ。寒い冬の址に暖かな春を告げてくれるから好きだ。世の中は陰と陽の一対で出来上がっていることを知らせてくれるから好きだ。