最期の個展が開催された。最期であって最後ではない。
画伯のポートレート。献花用のひまわりを故郷の長崎県島原から取り寄せた。
画伯は挿絵画家としてもそのずば抜けた力を発揮した。三毛猫ホームズシリーズの表紙は画伯の仕事であった。
月刊誌の表紙を女優シリーズで飾ったこともあった。うまいなあ。
天地創造と私が勝手に題した大作。
最期の個展とは人生の最期を個展で締めくくったという意味。しかし作品は独り歩きをする。画家の個展は最後ではない。
私の人生を一本の縄とみるならば、糾える縄のように私の人生に影響を与え続けてくれた人であった。22歳の当時、91歳になった画伯を見送るなんて誰が想像したであろうか。でも私はそうしている。この画伯に出会っていなければ、いまの私は何かが違っていたはずだ。
いま、振り返ると、画伯との出会い、そして再開の幕明けを演じた3人の存在がいた。
この日、画伯のご子息たちは最高のおもてなしで親しい人たちを迎えてくれた。画伯が好きであった最高のワイン、最高のイタリア料理、最高のラテン、そして最期の個展。
私はいつも以上にワインを飲み、料理を食し、作品を見つめ、画伯の遺体に触れて別れを惜しんだ。
町田駅から乗った帰路の小田急ロマンスカーで、私は画伯との出会いをつくった3人の人たちを思い出していた。
死は誰にでも訪れる。今日死ぬと毎日言い続けていればその日は必ずやってくる。
過去は点で結ぶことができるけれど未来は点で結べない。だからいやなことはやめて、やりたいことを精いっぱいやることだ。私はジョブズの言葉をかみしめていた。
「あなた!人生は生きているうちが華ですよ。死んで花実が咲くものですか。死んで花実が咲くのなら、お墓の中は花だらけ」私にこう問いかけた老女の話を思い出した。
画家の評価はこれから始まる。天性の才能はこれから花実を咲かせる。