まだ9月というのに軽井沢は秋が半ばを過ぎていた。紅葉の時期を最初に知らせる蔦漆の葉は色づき始めている。
この日、12時になってから軽井沢へ向かった。森は色づき始めている。足元に咲くコスモスも、咲き始めの可憐な姿ではなく、老獪な根が地肌を見せてきている。
まだ森は緑だが、注意深く見つめるとところどころに、誰にも気づかないように色が付き始めている。
ひっそりと建っている別荘の近くにも、紅葉は忍び寄っている。
「今年の紅葉は早い。一週間なんてものではない。それに今年の紅葉はきれいになる」。
誰かがそう語っている。土地の人だろう。寒暖の差があるほどに紅葉は美しくなる。
東京を出た時は26℃であった気温が横川では23℃になった。軽井沢に入る前に旅支度を整える横川パーキングエリアは標高475㍍だ。その気温が軽井沢に入ると17℃に下がっていた。軽井沢の標高は900㍍から1000㍍だ。
私はクルマのルーフを仕舞って外気温と一緒になった。ガラスを上げると風は巻き込まない。
インターを出ると下仁田街道に入り、軽井沢を目指した。
久々にエンジンを回してあげたBMWはシルキーな音を立てて滑るように走った。このエンジンを街中で走っているだけでは可哀想だ。たまには高回転で回してあげなければ。
都市と自然の両方に拠点を持ち生きていくことが、私には必要であるとは、かなり前から自覚していたことである。この考えを他人に押し付ける気はない。だから議論をする気もない。私は都市でお金を稼ぎ、浪費しているけれど都市の暮らしは人間を幸せにしているのかとする疑問はかなり前から持ち続けてきた。
なぜ軽井沢なのか。軽井沢でなくても自然はたくさんあるだろう。でもその理屈はこの地では成り立たない。
軽井沢は浅間山の山麓にある都市である。ここは都市と自然が一体化した側面を持った日本でも唯一の場所なのだ。ここは東京都24区なのだ。
ここに来れば、木立の中にフランス料理もイタリア料理も和食もある。都会と同じように一流のシェフが腕を磨いて新鮮な素材を使って料理を出す。大型のワインセラーを持っている料理店もある。軽井沢駅の南口には大型のアウトレットがある。
私が軽井沢が好きなのは、そんなことではない。新鮮な空気と、キツネ、タヌキ、ムササビ、リス、猿、ツキノワグマが棲み、さらにカモシカ、イノシシ、シカも出没し、季節ごとの野鳥、そのうえたくさんの山野草が咲き、高原の蝶が舞いとんでいる地域だからだ。
そして地球が公転することで移り変わる自然の姿を肌で感じることができるからだ。
この日は約400㎞を走った。軽井沢から浅間高原まで足を延ばしたからだ。気温は14℃に下がっていた。私は近くの温泉に飛び込んで露天風呂と室内風呂を行き来して体を温めた。室内風呂でのぼせてくると露店風呂に移って外気温で体を冷やし、また室内風呂に入るという構図だ。
浅間高原は北軽井沢の別称だ。以前は軽井沢にあやかって軽井沢の北ということで名前を付けたが、いまはそれより浅間高原で名前を売りだそうとしている。その北軽井沢は浅間山の中腹だから掘れば温泉が出ている。温泉の宝庫なのだ。
帰路はロマンチック街道から下山し三笠ホテルの前を抜けた。美しいホテルだ。
それにしても紅葉を見ると何故こんなに寂しい思いになるのだろうか。凍てつく冬がすぐ後ろに待っているからだろうか。私には寂しさのわけがよくわからない。
スマホを開いて渋滞情報を確認したらなんと藤岡から練馬までクルマがつながっていた。おそらく70キロメートルほどの渋滞だろう。
少し時間をずらそう。私は直感的に軽井沢で夕食を食べようと思い至った。それにしても便利な世の中になったものだ。
それから離山通りを抜けて高原都市軽井沢にしては想像を超えておいしい中軽井沢の寿司屋で、寿司をつまみ親方と話しをして時間を過ごした。おかげで渋滞は半減し、それほど混むこともなく走った。
昨日、軽井沢の友人からメールが届いた。今年は紅葉が早いですよ。週末に遊びに来ませんか?