我が家の庭に咲いた豆粒のような花に一頭の黄色をした蝶が蜜を吸っていた。久しぶりに見た黄蝶だ。「この庭にはお前の食草はないんだよ。せめて密でも吸っていっておくれ」。私はひそかにこう語りかけた。
ちょうどこの日は庭に出て顧客先と電話でやりとりをしていた。そこに黄蝶が舞い降りてきた。私はスマホをカメラモードに切り替え遠くから写した。近くに寄りすぎればこの臆病な蝶はすぐに逃げる。
生き物は弱肉強食というけれど真実は違う。適者生存こそ生き永られる唯一の原則なのだ。
このか弱い淡い黄色の蝶は一年に5回から6回も成虫化し、成虫で越冬をする。だから春先の暖かな日に黄色の蝶が飛んでいたなら、それは成虫越冬をした黄蝶なのだ。
人は百代の過客にして・・・と松尾芭蕉が書いた奥の細道冒頭を思いだした。人は一代であるがうねりとしての人は百代となる。まさしく真実だ。蝶も一代である。あらゆる生き物は一代の過客にして・・・これも真実だ。
やっていることは、人類の「うねり」が子孫を残すこと。個々はどうでもよいのだ。この蝶が鳥に狙われて食されてもそんなことはどうでもよい。黄蝶の「うねり」が子孫を残していればそれでいい。そして生き残るためには強者が弱者を食べるのではなく、うねりの環境適合能力に掛かっている。
でも私は個々の個にあたる存在であるから、いまの一時一所を貴ぶ。だから黄蝶に語りかける。ここにはお前の食草はないよ。この柘植の花が終わっても山茶花も咲くし、まだまだいくつかの花が咲くから居心地がよかったらうちの庭先で冬を越しな・・・と。