年末に、私はオフィスの通路に一つの祭壇をつくった。私の人生で出会えて、影響を受けてそして与え、やがて別離した人たちを祈る祭壇である。
22歳の時に出逢って、奇しき出会いと別れを繰り返しながら、晩年を看取ることができた永田力画伯との別れが、今年、7月27日にあった。告別式の時に出会った二男の玄さんと時空を超えて急速に親しくなり、一幅の油彩画をいただいた。
そうではない。アトリエに百点ほど残る遺作の中から、私はこの絵を所望したのだ。絵はF15号サイズ。やや大きめの油彩画だ。1969年の作である。すでに一回目の出会いは終わっていたころだ。私が26歳。画伯は45歳であった。絵は言うまでもなく画伯の自画像である。
無垢の木をしっかりと使った絵のフレームであったためにとても重く人の手で運ぶことはむずかしかった。玄さんがクルマで届けてくれたのは12月24日であった。
私は12月24日をクリスマスプレゼントとは思わず、私の祭壇をつくる日にふさわしいキリスト生誕前夜と捉えていた。
むかし買った小さな台を画伯の自画像の前に置いて、大きなリンゴを乗せた。これで私の祭壇は完成した。
これからの人生をていねいに踏みしめて生きたいことが私の願いである。私のいまがどのような立場であれ、こうして生きて、一定の考えを持っていることは、これまでに出会った人の影響があったからである。過去を振り返ると決して波瀾万丈とは言えないけれど、桂馬のように飛び跳ね、飛び超えて進んできた。飛び跳ねるターニングポイントには必ず、出会いと別れがあった。
永田画伯の自画像は、私がこれまでに経験してきた出会いと別離の象徴として存在する。