昨日、顧客企業から、午後早く戻った。突然左目に左から一本の黒い線が流れるように走った。線は、松葉のように先端から二つに割れた。それから線は広がり続けた。次に細かな砂のような点粒が現れ一面を覆った。白い背景は不透明になり、左目だけでの視界はゼロになった。
私は慌てもせず、驚きもせず、困り果てることもなく、明日、病院に行くかと思った。
朝起きると症状はもっとひどくなっていた。目の動きに合わせて黒いオーロラは、3Dの空間を目の動く方にE#マイナーの音楽に合わせて動き回っていた。
左目は完全に失明状態になっていた。ただ明るさはいままでと変わらなかった。
これでは仕事ができないぞ。私はそれから電車でお茶の水の眼科病院へ行った。
予約なしに飛び込んだために時間は掛かるという。声が掛かるまで待ってくださいということで、右目で周辺を見回すと大混雑だ。老人が多いのだが若い人もいる。
以前、心臓が痛くなったとき、カテーテルで心臓検査をする病院に電話して、それから入院をしたことがある。家族を呼んでサインを貰わないと手術をできないと言われて、それから家族に入院しているぞと電話を掛けた。
いつでもこんな調子だから、慌てもせず、驚きもせず、失明の怯えをせず、順番が来るのを待っていた。それから検査の連続であった。瞳孔は薬で開かれ、網膜の断面図撮影では、直接のフラッシュで目の前は真っ白乳白色になった。
若い女医はこれだけを告げた。「あなたも目が見えないように、こちらからも眼底は見えなかったの。飛蚊症の原因は眼球内出血。消えればまた見えるようになる。少し時間がかかるから出血防止薬を出していく。ついてに毛細血管を強くする薬も。4週間後にまた来てください。もう一度検査をし直すから」
私は何の感傷もせずに、無表情の様子でコトをこなしていった。宇宙船に乗って宇宙空間に出れば、こんな風景が見えるだろうなと思いながら正常な右目を閉じて黒い星雲が揺れ動く姿を眺めていた。
むかし、仕事のやり過ぎで甲状腺に腫瘍ができた。のどには脳につながる神経系統が集中する。いまなら裁判ものだろうが、医師は声が少し嗄れるとだけといった。楽天的な私は突っ込みもせず分かりましたと言った。
この声を嗄声というのだそうだ。医師は4本くらい神経を切ったと言って笑った。本当に笑った。医師にとって神経をとることは手術での日常だから、笑いもするだろう。
4本のうち一本は声帯を動かす神経であった。これで私は声を出しても周りには聞き取れない嗄声の主となった。
しかし私はまったくめげずに病床のうえで新しい仕事のやり方を準備していた。これが成功して、嗄声であっても売上は翌年2倍になった。何年か後に、動かなくなった声帯にシリコンを入れて私の声帯はささやかな声を出し始めた。シリコンを入れた声帯は動かず無事だった片方の声帯だけで声を出しているわけだ。
こういう経験を何度もしてくると、多少のことには慌てなくなるものだ。もしも網膜が出血して血液が流れているとしたら失明は間違いないな。その時はどう工夫していまの仕事を続けるかと思うだろう。クルマの運転ができなくなるコトを一番嘆くのかもしれないと思った。
しかし私は、本当のことを知っている。いまは見えると見えないの境目を行ったり来たりしているが、やがて境目の橋は生と死の間に掛かるであろうということを。
私は生き抜く力がとても強い。さらに息抜く力も強い。生命力が強いのだともいえる。
私は戦時に力を発揮する。平時に私は息だけを抜いている。
こうして右目だけでキーボードをたたくと、何とも打ち間違えだらけだ。来週にある提案活動は、手描きでA3一枚に描いて持って行こう。