12年前の写真である。
喜納さんの「花」は、バグアン・シュリ・ラジニーシの著作「存在の詩」の影響を受けて作詞作曲したものだ。いまはペンネームを「和尚」と変えているバグアン・シュリ・ラジニーシの「存在の詩」は、めるくまーる社から買える。
インドで放浪の旅をしていた喜納さんは、部下の「ナント」と共にラジニーシと出会う。大きな影響を受けて帰国し、自らをウパニシャッドと名付け、チャンプルーズのみんなもこうした名前を持った。ナントもその一つである。私は、喜納さんから勧められて「存在の詩」を読んだ。28年前のことで44歳の時である。
当時は、ラジニーシが説く思想がちょっと匂うなと、直観力で感じ取っていた。人は流れているんだというようなことが繰り返し書いてあったことだけはよく覚えている。
運命は、一切の命を産み続け、命はうねりとなって流れ、すべての命を次から次へ死滅させる。
私もまた、ほかの人と同じように、多くの人々の死を看取ってきたが、人が死ぬ時に生と死との境界線はないと断言できる。生と死はシームレスに連続して存在している。
三途の川などどこにもない。閻魔大王も待っていない。地獄に落ちるのか、天国に昇れるのか、煉獄でさまようのかも悩む必要はない。そんなものはどこにもない。だから死ぬ恐怖は持つ必要はない。
持つべきは生に限界があることの恐怖だ。生に限界をあることを知れば人間は誰でも存在意義を問うことになる。タヒチで描いたゴーギャンの名作「私はどこから来たのか、私は何者か、私はどこへいくのか」は、タイトルからして生の喜びと生の限界を知ったゴーギャンが付けたタイトルらしい。
私は、今週木曜日と金曜日に二つの体験をした。
木曜日は、86歳の先輩と旧交を温めた。彼は人生の本質は楽しむことにあると断言した。振り返れば昔から彼はそう言っていた。
人間が苦しいとか、つらいとかいうけれど、そんなものはまったく存在していないのだと言った。そして私と申し合わせたように、死ぬことが怖いのではなく生には限界があることに気付かないことが怖いのだ。限界を知れば生きる姿勢も変わってくると言った。それを実現するために大切なことは自分の存在意義だと言った。人生の目的は人と関係を持ち、深めること。人を育てること。この二つだとも言った。
彼は人間は宇宙が作った一現象に過ぎないことを知り、現象がつくり上げる森羅万象も実は更なる幻想にすぎないことを見抜いていた。だから物事の整理ができていて話にぶれることはなかった。人生は楽しむことがすべてである。過去に縛られ、未来に縛られ、現在にも縛られて、自らの脳が苦悩をつくりだし、苦悩におぼれて苦しむ必要などないのだ。
金曜日は、83歳の先輩と旧交を温めた。この人は残念なことに病気が災いして負の連鎖におちいっていた。
私は、人生感を整理していないと思いながら彼の話を聴いていた。インターネットの恩恵を受ける年齢ではなく、疑問をすぐに検索することができる才は持たない。だから彼は経済的には余裕があっても生きることに苦しんでいる。
どうも運命についていろいろ考えたのだが結論は般若心経にたどり着いたらしい。
この経は頭のこれだけがいいたいことのすべてであって残りはこの説明をしているに過ぎない。
観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度一切苦厄・・観自在菩薩は般若波羅密多を行する時宇宙すべてのものは皆が空であると見照らしたことで一切の苦しみや厄を取り除いた。
人生は楽しく生きる。この処方箋こそが人間が目指す生き方の本質である。自己の存在意義を持って人と関係を深め、人を育てること。こんなに楽しいことはない。先に記した86歳の先輩のいうことが正しい。
喜納さんの「花」も、詩は和尚の流れを汲んではいるが、人生の真理を描いている。
万物は時の流れに乗って流れていく。人も一輪の花のようである。しかし流れているいまを置いて時間はない。明日は死滅するかもしれない。そのような危うさの中で人は生きている。
渋谷の東武ホテルで10分くらいで書いてしまったと喜納さんの妹である啓子さんがいうのだが、きっと神が降臨してきたのだろう。
花 作詞作曲 喜納昌吉
川は流れてどこどこ行くの
人も流れてどこどこ行くの
そんな流れがつくころには
花として 花として 咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ