身体が疲れた時、私は音楽で癒す。心が疲れた時は絵画で癒す。生きているために必要な生命の素を私は音楽や文学や舞踏や絵画から摂取している。
私の命をつなぐものは決してパンとチーズとワインだけではない。私は芸術と触れ合うことで命をつないでいる。良い芸術は困難にいる人の飢えを救いやしないが、困難に立ち向かう勇気を与えてくれる。
芸術をポケットに入れていない人はどう生き抜いているのだろう。私はこのことを知りたいと思う。それは私生きているやり方以外で生きているからだ。
私は、思惟深い人間ではないが、深く考える癖がつくことによってこれ以上小さくならない素数まで思考を掘り下げてたどり着くことができる。こうした習慣は仕事にも役立ち、書を読むときにも役立つ。いままでは難解であった哲学書も、書かれている用語の意味を掘り下げることによって哲学者が何を言いたいのかがわかるようになった。哲学者が安易な表現をとらないことが分かるようにもなった。
それから私は哲学書を好んで読み、用語の意味、難解な表現のしたに隠れている真理を見つけ出そうとしている。
哲学も芸術の中に入る。人生の真理を様々な切り口で理知的に切り刻んで一面を見せてくれることも芸術の一分野だ。
真理は、すべての仕事、すべての営みに隠されている。
真理を見つけた時に人間は覚醒する。人は真理を見つけ真理に突き動かされ前に進む。この前進は確かなものになる。とはいえ、すべての芸術に真理があるわけではない。
そこで人生に対する目利きが必要になってくるわけで、目利き力は、経験と知識を集大成したものといえる。
最近になってようやく画家安徳瑛氏が描いたものは、「空間と時間の中で生きて、消えていく人間たちが見せる一瞬の輝きにこそ価値がある」ということであると気付いた。安徳瑛氏は、絵画で真理を見つけ哲学的に表現した作家であったのだ。
ポケットに芸術があると真理の見つけ方が上手になる。苦難の時でも苦難と感じずに生きていくことができる。愉しい時でも有頂天にならずに済む。