空を旅していく鳥に、明日の憂いはあるだろうか。人間以外の動物はいまの一瞬を生きている。適者生存のうねりと弱肉強食の毎日の中で。
私も今日一日を大切に生きている。残る人生を有意義に生きようとしている。だからあと五年で退職するからそれまで無事に生きようにと考えている人の考えは認めても一緒に仕事はできない。
空を旅していく鳥は、隣の鳥の生き方が合わないから一緒に飛べないとは言わない。ここが人間と鳥との違いだ。鳥にリスクマネージメントはあるのか。これはある。生き物の本能だ。
私はジョブズがスタンフォード大学で講演したあの三つの話が大好きだ。ジョブズは人間と鳥を比較しない。人間は誰もが限りある命を持って生きているのだから、自分の人生を生きろ。愚かであれ、ハングリーであれとジョブズは謳い、オンコロジーが原因でリンゴマークを残して露と消えた。
午後6時、太陽は厚い雲に隠れ、あっという間に夜の帳(とばり)が下りてきた。今日は19時にオフイスを出て、池袋の大型書店で、文章表現の書を買い求める。知れば知るほどにわからないことが増えてくる。知ることがあって知ろうとするアクションは実に愉しいものだ。まるで大好きな趣味を推し進めているようでワクワクしている。
多くの人が過去に捉り、未来につかまり、現在にも捕まって身動きできないでいる。多くの人にとっては過去も未来も現在もドグマなのだ。人間が考え出した教条主義につかまってはいけない。人は自然からだけ学べ。まもなく19時。今日はまだ5時間残っている。この考えもドグマであるのだが、好きなことをやって過ごすのだからジョブズも許してくれるだろう。
作家城山三郎氏が書いた詩、「旗」は主張が明確だ。人は旗を上げてはいけない。政治家も組織もだ。人間は決して一人では生きられないのだが、人間は一人で自由には生きられる。
アフリカで暮らしている81歳の日本女性が、人はこれほどまでに自由に生きられるものなのかとテレビで語っていた。教条だけでなくあらゆる旗はドグマに変わりうる。旗を降ろしてしまえば人間は自由に生きることができる。
私も旗をたくさん上げて生きているのかもしれない。しかし片方でどれが旗なのかを承知している。
私はいつでも旗を降ろすことができる。しかしいままで振ってきた旗にはいくばくかの責任と名残惜しい感傷が残る。だから承知で旗を振っている。
空を旅していく鳥は、自分の意志で自由に生きている。私は旗を振っている限り、決して自由ではない。残念なことに。