私はぜんまい仕掛けで動いている。時は足元を流れているけれど時の影響は受けていない。ぜんまいはどこかで切れるか最大に緩む。このぜんまいを巻き直す人はどこにもいない。
私はぜんまいが戻る力を使って生きている。ぜんまいはまだ緩み切っていないから生きている。時間と、時間と空間がつくる時空間、そして真正の空間の三つが私の周りを取り巻いている。私は地球の上に乗っかって立ち上がっている。地球は時をつくる本体だが、私は時の影響を受けていない。時は足元を流れるが、実は人が流れている。人にとって流れているのは愛する人と、関わり合った人と、愛すべき者たちだ。
時の本質を知ったものだけが時から抜け出ることができる。あらゆるモノから掴ってしまった者がそこから抜けるにはモノの本質を知ることが必要だ。知らないと人間はモノに捕まり流されていく。
だから人間は死ぬことは怖くない。怖いのは、死ぬ日は必ずやってくるのに、いつ死んでしまうか分からないことを忘れてしまうことだ。
オフイスのすぐ近くに最先端のスポーツジムができた。私はこのシステムなら長続きできそうだと直感的に思って入会した。朝6時から夜24時までいつでもできる。私は22時ころに仕事を終えるとスポーツジムで約30分汗を流して帰宅する。
おかげで運動不足どころか無運動の体は、活き活きとしてきた。腰は伸び、背中も伸びた。姿勢はぐんとよくなった。大股で足を上げて歩くようになったし、何よりも身体が今日も運動がしたいと望むようになった。嗚呼。悪いことをしていたな。身体はこんなに運動を求めていたんだ。
夕方になるとオフイスにいる時は南面に大きく広がったベランダに立つことが多くなった。いささか姿勢が良くなったので胸を張り腰を伸ばして腹式深呼吸ができる。落日の太陽を眺めるのが好きだ。こうして自然に触れている時間を持つと私は都会の別荘にいるような錯覚がしてくる。
私は黄昏時が大好きで、その時間が来るのを待つ。時計は時を刻んでいるけれど、私はそんなことにはだまされないでいる。私はぜんまい仕掛けで動いている。私は時に流されていない。
落日の後に夜のとばりが下りるまでのわずかな時間、たそがれ時を迎えるために西の空に向かっていると、ふと西向く士(サムライ)を思い出した。
2・4・6・9・11は31日が無い月だ。暦、すなわち時間は人間がつくったものだ。利用しても良いが、飲み込まれてはいけない。時はあなたを流したりしない。ため息をついてしまうと流されていくように錯覚をするだけだ。
今日は日曜日、昨日は21時まで仕事、今日もだ。その疲れをスポーツジムで癒して新しい活力を貰って足並み軽く帰宅する。
歩くのは我。ぜんまい仕掛けで前に向かって動いている私のカラダ。