白い濁流が音を立てて渦巻いている正月の一日、
私は音を立てずに音楽を聴いていた。
それは古い二曲のシャンソンであった。
ハーディは別れを唄い、フェレは出会いを唄っていた。
何千年も前から、人が唄い、残したのは出会いと別れの唄であった。
正月にふさわしい選曲だった。
フランソワーズ・ハーディの、「もう森なんか行かない」は1968年の古いシャンソンだ。
わたしたちはもう森へなんか行かない
わたしたちはもういっしょに行かない
私の青春は逃げて行く
あなたの歩みのリズムに合わせて
だけどあなたが知ってくれたら
どんなに青春があなたに似ているか
でもあなたはそれを知らない
でもあなたはそれを知らない
(歌詞一部抜粋:朝倉ノニーの<歌物語>から)
ジャン・フェレ、もしもあなたに逢えずにいたら
もしもあなたに逢えずにいたら
眠る森でこの心は
疲れ果てて死んでるだろう
もしもあなたに逢えずにいたら
谷間の水に喉を潤し
夜空の星に目を癒すように
僕は学んだ生きることの喜びと美しさを
あなたが語るその詩の中に見つけたのだ
僕の道を
もしもあなたに逢えずにいたら
眠る森でこの心は
疲れ果てて死んでるだろう
もしもあなたに逢えずにいたら
青い空に陽は輝き
花は笑うこの世界に
手を引かれて歩いて来た
遠い眠りの心の森から
あなたは語る幸せは
夜の巷のカフェにはないと
もしもあなたに逢えずにいたら
眠り森でこの心は
疲れ果てて死んでるだろう
もしもあなたに逢えずにいたら
幸せなど何処にあるのか
人はこの言葉を嘆くけれど
僕はいま唄う幸せはここにあるのさ
この大地に雲や夢の中にでなく
この世間の渦の中に
だけどあなたに逢えずにいたら
眠る森でこの心は疲れ果てて
死んでるだろう
もしもあなたに逢えずにいたら
暗唱しているため訳詩人知らず