単行本の執筆が追い込みにかかっている。最後の章までたどり着いたが、ここでようやく半分まで到達したと思うことが良い。これから胸突き八丁に差し掛かる。三歩進んで二歩戻る。
音楽を聴きながら執筆すると集中できる癖がある。そこでいつものようにアップルミュージックからいくつかのクラシックを取り出して聴いていたが、その中に大好きなサラチャンのノクターン20番があった。
サラチャンはコリアン系アメリカ人で世界的に活躍している名バイオリニストだ。
楽器が良いのか、演奏技術が巧いのか、バイオリンを演奏するのに最適な肉体を持っているのか、それらの掛け合わせかは知らない。理屈は別にサラチャンが弾くバイオリンの音色は特別だ。
ふと思い立って平原綾香さんが唄うカンパニュラの恋を聴いた。ノクターン20番をアレンジしたテレビドラマの主題歌になった唄である。
聴きながら小諸に住む庭師和久井ご夫妻を思い出した。写真は和久井さんが育てたカンパニュラの花だ。和久井さんが手塩にかけて咲かせたカンパニュラだ。
思い出してから切ない哀しさが胸の中に広がってきた。ショパンの20番が切なく哀しいのであって花に切なさがあるわけではないのだが、ましてや和久井ご夫妻に悲しさがあるはずではないのだが、きっとショパンの哀しさが演奏を通じて伝わってきただけなのだろうが、この連想ゲームにつながりはなかった。どこかで連想分岐をしたのに相違なかった。
カンパニュラの花は7月に見た花であった。その後、和久井さんの庭を拝見したがカンパニュラはなかった。時が違っていたのだ。
いま、庭は雪に埋もれて咲く花はない。誰もが冬支度のままじっとしているだけだ。木々は花も葉も落として、冬を乗り切るために身軽になっている。
昨年の秋、紅葉が終わりかけている和久井さんの家を訪問した時、もう今年の庭は終わりましたと、和久井さんは私に告げるように言った。
それからまだわずかの月日しか経過していないのだが、ノクターン20番を聴いたことでカンパニュラの恋を思い出し、カンパニュラから和久井さんの庭に咲くカンパニュラの花を思い出し次には和久井さんご夫妻に連想が分岐してしまったのだ。
そうではない。いまこれほど見事に育てたカンパニュラが地上存在しないことが哀しいのだ。
いまごろ和久井ご夫妻は薪ストーブの前で暖をとっているのではないか。
東京も寒いもの・・・と私は、さらに連想ゲームを進める。
今年はカンパニュラが咲く頃に和久井さんの庭を訪ねよう。