12年間のオフイスを引き払った。一つの出会いと別れが繰り返された。膨大なアナログの資料をどうするか非常に悩んだ。広い部屋に合わせてモノが増えていった。決断するのに時間が掛かった。事務用家具は別にして、紙資料だけで2トントラックが3台必要になった。すべてを選別しクライアント企業の名前が出ている資料はすべて溶解処理にした。
新しいオフイスは、偶然にも専用の庭が付いていた。写真は、苔庭に落下した椿の花を写したもの。
オフィスの天井は高く、大きな壁が付いていた。私は全面ガラスがはまった大ガラス越しに映る庭を見ると洋画よりも日本画が良いと思い立ち、和田三造画伯の「広沢秋景」を掛けた。嵯峨野に近い広沢の池の秋景色をさらりと描いた10号の水彩画だが、不思議にマッチした。
ちょうど島原の本田さんと木村品子さんが遊びに来た。品子さんはこの絵を見て三造先生の絵だと言い当てた。子供のころとても可愛がっていただいてよく洋服を買ってもらったの。おおらかな絵だからすぐに三造先生の絵だとわかったと言った。それからとっても素敵なオフイスだと、誉めた。
この庭は造園家が設計したものだ。場所柄もあってたくさんの小鳥がやってくる。しかし手入れができていない。水は雨任せで施肥はしていない。だからつつじの時期につぼみを持っていない。
この移転でモノを捨てた。絵画もずいぶんとなくなった。思い出深い絵画は好きな人に差し上げた。残ったひとつから思い出のすべてを引き出すことができる。
遺品整理屋に私の遺した大切な思い出深いモノがごみとして取り扱われるのがいやであった。
私は少数の良いモノを持って、自然に寄り添って生きていくことを少しでも実行したいと思っていた。偶然にも12年過ごした広い部屋を放棄することで、新たなチャンスが巡ってきた。
花が咲かないもう一本の椿と、多くのつつじとさつきに施肥をし、水をやって来年は花を咲かせようと思い立った。早速肥料を買った。それから踏まれて消滅したコケを復元していこうと思った。冬になったら野鳥に餌場と水場を用意しなければならないと思った。
だからといって私は老いてはいない。
先に書いた単行本の原稿が世の中を変えようとししている想いに反してその意思が伝わらないので、同じテーマで書き直した。
庭に出て遅咲きの椿の花を見ながら祇王寺の苔庭に想いを馳せ、一方でベトナムに旅立った若き青年が、これからどのような人生を踏んでいくのか、幸あれと祈り、彼が実現するだろう希望に向けて心を遊ばせている。
GW明けには、仕事で試乗記を書く。BMWが新発売をする376ps小型スポーツカーM2のハンドルを握って高速道路から山岳道路約400kmを走ってくる。まだアグリッシブにアクションを続けているのだ。
人間は、いつでもいまの一瞬を輝く生き物だ。時々に迎える一瞬を感受性で受け止めて心豊かに生きていこう。それ以外に人間は、とても生きられるものではないのだ。