大島哲以(おおしま・てつい)の絵画だ。張りつめていて、意味を持っていて、うまいなあ。
この絵は湯島の羽黒洞にある。この絵は一対になっている。タイトルも同じだが写真の絵の方がいい。油彩画に関心を持ってから30年になる。それだけの経験を積み重ねてようやく絵の良しあしが見決められるようになった。
タイトルは「けもののまつり」。1965年作。サイズは160cm×80cm。
何かに捕らえられている自分。魚は半分に切られて吊るされている。自分も捕まって逃げられない。虎視眈々と獲物を狙っているものはだれか?自分は何から逃げられないのか。しかし気が付けば自分もケモノの一つだ。こんな意味が見て取れる絵だ。
画面上部に咲いている花は、サフランだ。サフランの花言葉は「歓喜」である。それでいいんだよ。それでも希望はある。未来の希望に対する歓喜、存在していることへの歓喜があるというのだ。
私は芸術家の創造の苦しみをなぜ一緒に背負わなければいけないのかと時折思う。この絵と一緒に暮らしたらきっと私は逃げ出したくなるかもしれない。
もう私は理屈なしで前に向かって生きていきたい単細胞なのだ。
弱さを出すのが自然主義的な作家の持ち分だけど、自分の弱さを売りにしている絵は好きになれない。しかも計算づくだともっと好きになれない。
けれども大島哲以画伯はうまい。彼の幻想画家としての絵からは異端的な絵だが、私はこの絵の渋さとうまさと哲学が好きである。計算を感じないところが好きである。どこか鶴岡政男と似た画風である。
1926年ー1999年。日本を代表する現代作家のひとり。一応日本画家だが、そんな垣根はとうに超えている。
師は日本画の大家中村貞以。以の一字を師匠からいただいて哲以とした。幻想絵画の頂点に立っている。今もなおだ。