軽井沢追分の油やで画家大島氏の個展をやっていた。大島氏とは約40年間の付き合いをしている。今回は浅間山をモチーフにした浅間春秋を中心にした個展だ。
油やは追分旧中山道にあった大きな旅籠だ。芥川龍之介、室生犀星、堀辰雄、立原道造らが泊まった旅館として、知っている人は知っている。室生犀星ー堀辰雄ー立原道造ラインで追いかけをした私にとっては意味を含めてよく知っている旅館だ。
大島氏から面白い話を聴いた。
浅間山を取り囲んでたくさんの町や村がある。軽井沢、御代田、小諸、北軽井沢から見る浅間山の風景はみな違う。地元の人は自分の住んでいる地点から見える浅間山以外の浅間山は「オラが浅間山ではない」というのだそうだ。
上田まで行ってしまうと浅間山はもはや見えないので浅間山をオラがふるさとの山とは誰も言わない。
人間の世界観は経験と記憶で構成されているから 経験と記憶にないものはオラが浅間山ではないということになる。浅間山は一つしかないが、見る人の数だけ浅間山は存在することになる。
人の数だけ世界観があるという説明は難しいが、大島氏の話を引用すればわかりやすく説明をすることができる。
次は人物を描きたいと画家がポツリと言った。この絵は私にとっての「風立ちぬです」。
それから絵画における意味論に話は進んだ。ちょうど言語における意味論の本を読んでいた私はとても興味が深い話であった。
大島氏は大きな浅間山のふもとを走るしなの鉄道の絵を指さして列車を消してくれればこの絵を買いたいといった顧客に、丁寧に断ったといった。
その話を聴いて私は列車があるからこの絵は素晴らしいといった。列車には人が乗っている。いろいろな生活を抱えているひとたち。世界観が違う人たち、想像力でいろいろな人々の生活を引き出すことができる。
この会話を引き金にして話は絵画の意味論に及んだ。
家を出たのが11時。3時半に軽井沢を出発した。油やの駐車場で日陰を選びエンジンの余熱を冷やしていた。
大島氏は駐車場まで見送ってくれた。木立の中は爽やかな風が吹いていた。クルマのドアを開けて空気を入れ替えていたら。風が一瞬強くなった。
ああ、いま風が立ちました。大島氏は詩を朗読するようであった。
油やから堀辰雄が暮らしていた家まで徒歩で2分くらい。短い春はすぐに終わって短い夏も終わり、短い秋も終わり、軽井沢はもう冬がそこまで来ている様相である。
いつでも私はそう感じる。私が軽井沢を訪問するたびに思うのは光の弱さと空気の美しさと、その背後に労咳の病人を抱えた哀しさだ。それは軽井沢の冬の厳しさに直結している。軽井沢は遅めの春と短い夏と冬を知らせる秋とで半年、残りの半年は氷の世界なのだ。
だから一瞬の春を、短い夏を、冬を背負っている秋を、精一杯生きなければ。