風の抜けが悪いので正面の木をすべて伐採してもらった。隣の建物がよく見えてしまったが途端に風が抜けてそよ風が吹き渡る庭になった。たった一日でサツキたちは新芽を伸ばし始めた。これには驚いた。
地水火風空からこの宇宙は成立している。火とは太陽のエネルギーと訳してもよい。風がこの庭にはなかったのだ。気が付くと椿がびっしりと蕾を付けている。5月に油粕と骨粉の混合肥料を与えておいたことが良かった。年末には追肥をして新しい土を追加する予定になっている。
上の写真にスズメが五羽映っている。今まで鳥が見えなかった。ガラス戸を開けると急襲され慌てて逃げるように鳥が高い樹の梢に飛び移った。鳥が居たんだと初めて気が付いた。
以前、奄美大島の原生林で、ガイドの田町さんが、あそこに瑠璃カケスがとまっていると教えてくれたことがあった。梢の先を凝視してみたが見えなかった。そのことを思い出した。そこで鳥がすぐに見えるように目を訓練しようと思い立った。凝視して鳥が居るかどうかを見極める訓練をするには、凝視するしかない。
ある時、突然見えたのである。五羽の雀が苔の上に浮かび上がってきたのである。人間の体ってすごいなあ。意志を持てば順応し始める。
この坪庭は、トカゲ一家と、たくさんの種類の蟻と、ダンゴムシが棲み、時折蛾の幼虫と、時には椿に付く毒蛾の幼虫と、訪れる鳥たち、多くはスズメだが、ハトや知らない鳥たちのものになっている。
今月は雨が多く、日照時間はたった5分だったそうだ。そのわずかな日当たり時間に、今年生まれたトカゲの子供たちが体熱を上げるために日に当たりながら絡み合って嬉しそうに遊んでいた。さすがに毒蛾だけは管理人に頼んで除去してもらったが、残りの生き物は、動物でも植物でも温かい目で見守っている。
立ち止まると見えないものが見えてくる。壁向こうの世界に移ると今までいたこちらの世界が意味ないものに見えてくる。私は人生を経てこの事実を知ってしまっている。前進するためには立ち止まらないといけない。立ち止まった方がよい前進をすることができる。
ジブリの最新作映画「レッドタートル…(赤い亀)」が面白そうだ。サイレント映画で人の声はない。結局人生とは出会いと別れ、愛と死しかないということを伝えたいらしい。
木村東介羽黒洞で、丸腰上等とタイトルした日本画展をやっている。ずいぶんテンパった生き方をしているのか若い女性作家に会ってみたい。
来週は仕事でBMWの試乗だ。混雑が終わった初秋の軽井沢から信州の山を走ってくる。古代浅間山の噴火口跡地は尾瀬が原に似た湿原だ。標高2000メートルにある、池の平湿原は秋真っ盛りであろう。ここはまもなくスキー場に変わってしまう場所でもある。
仕事の集大成に当たる準備は続いている。
またカレンダー全日休みなしの生活を過ごしている。立ち止まりながらも時間は過ぎていく。急ごう。自分は止まっても時間は止まってはくれない。時間効率を制御はできても流れてゆく時間を制御することはできないのだから。