春の釣鐘草が咲いている。カンパニュラだ。この花は寿命が短い。私は命の短い「蛍袋」の前に時折立っては枯れていく素の姿を見つめている。ただただ見つめている。
私はホームページの立ち上げる準備をしている。制作会社のデザイナーと打ち合わせも続いている。まったく新しいマーケティングの思考と手法を考案した。5年近く時間を掛けた。いろいろなことを考えた。
ふと思う。
私は自分の世代を十分時間を掛けて生きてきた。そして今も生きている。次の世代は私が一からやって答えを出していることをわからず一から繰り返している。私の目から見ると彼らが今やっていることとその結末がよく見える。間違いだらけでいい加減だらけだ。
だから世の中は、なにもかもいい加減な形で、できている。 いい加減の正体が分かった瞬間でもある。私の世代から見えるいい加減さは若い世代にはわからない。経験していないからだ。
私が5年も掛けたことは、いい加減の正体を見抜いた前世代の人間が、真実はこれだと指し示した思考方法と手法である。しかし、通じないだろうな。いい加減と思っていない人にあなたのやっていることはいい加減だと言ったところで通じないだろう。
そこで私は共通する意思疎通の概念を探すことになる。ここに時間が掛かった。上位概念に登って行って共通するところ、つまりは源流を探していった。
この図は、営業改革、デジタル経営、そしてAI (人工知能)に一直線上につながる新しい営業活動の思考方法と手法(Method)を記した最上位概念図である。
例えば行動(Action)については、私は生物に共通するアクションの構造まで遡り、神が与えた動物のアクションはたった一つのテンプレートしかないことを発見してそのアクション構造を採り入れている。アクションの詳細構造も全部を理解した。AIを導入するにはこのメソッドを採り入れなければ成功しない発明的発見であった。
しかし若い世代にはその話は分からない。世代という概念を取り外して共有するには、普遍的、不変的な、原理原則的なモノを探さなければならなかった。
思想の最上位概念にあるものは、人間の情と理であり心の変容であると思い至った。
老人は、世代の位相を知り、いい加減な世を見抜きながらも途中であきらめてしまう人のことである。私は闘っている。世代をつなげようと孤独な闘いを続けている。
釣鐘草・・私にはカンパニュラの方が理解しやすいのだが、この花はなぜ早く枯れていくのだろうか。私はそう考えながら花を見つめている。
カンパニュラは、花の盛りが過ぎると釣鐘袋の部分が折り畳みの提灯のようにしわくちゃになって縮む。するとおしべが袋の外に突き出てくる。嗅ぐと奥深く花の香りがする。私は合点する。そうか。カンパニュラは、花の袋を縮めることで昆虫を招きやすくし、袋が縮むことで袋の中に入った昆虫を逃がさないようにして底にあるめしべに追い込む構造を持っていることを理解する。
自然界は多くのことを教えてくれる。アクションも基準も、制御も、学習も、そしてAIの時代になっても人間が主役であることも自然界から学んでいたのではないか。こう思った瞬間だけ、私は宇宙人であり、宇宙から生まれた生物で宇宙によって生かされている姿であると認識できる。
今日はいくつかの仕事を進めるためと、ホームページの執筆のために仕事をしている。