先週金曜日、羽黒洞の女主人品子さんが、大島哲以画伯のこの絵はどうかと薦めてくれた。下の絵がお薦めの「けもののまつり」である。1965年に描いた大島画伯の初期代表作である。
大島哲以画伯は品子さんの父である羽黒洞創業者の木村東介氏が育てた画家の一人で、幻想画家と呼ばれた特異の才能を持った人である。
心が動いたが何しろ畳一枚ほどの大きさがある。ウームと、思案していたら、突然に「服部さん。もう絵を買うのはよしなさいよ」と女性の声が聴こえてきた。よく知っているRさんの声であった。あたりを見回したが本人はいない。空耳であった。
ウームのままオフィスに戻り大島哲以画伯の画集を開いた。この時代の画家は一所懸命生きたのだなと思いながらスマホをかざした。上下二点がその写真である。
人生は、誰もが“私を離さないで”と願いながらも出会いと別れを繰り返している。一人の人、一枚の絵、一台の自動車。一幅の風景。皆同じだ。心のひだの中に刷り込まれた風景と出会っては別れ、会者定離を繰り返しながらそれが人間の宿命と思うようになり、最後には心を通わせた会者とのつながりが遠い向こうの出来事となって心を動かさないようになってくる。
私は、大島哲以画伯の絵が、実に誠実に描かれていることと、魔術を使ったかのような色彩に心を奪われているのだから、まだ老いには遠い心の若さを持っているのかもしれないが、逆に日常生活の緩さに飽き飽きした私が、大島哲以画伯の幻想世界に心を奪われているとしたら、私の人生は危険水域に達している信号なのかもしれないと、思わず後ろを振り向いてしまうのだ。
そこには、ごうごうと音を立てて私の過去が流れているだけで、時折、手を差し伸べようとする、心の襞に刻まれているシーンも流れてくるけれど、掴めるものはなく、私の左手はただ虚空を握り締めているだけである。