左目の硝子体に血液の浸入があった。左目が一時的に失明状態となった。それだけではなかった。激しい咳が止まらなくなった。体重が1週間で5kgもへこんだ。ウエストはゆるゆるになった。74㎏もあった体重が69㎏に減少したのである。
咳のひどさが分かるというものだ。医師は咳喘息から気管支喘息に移る時期だろうと評論した。バスに乗って我慢をしていたのは、はじめの数分であった。いつの間にか咳込み始めると周囲にいた人たちはサーっと前方席に移ってしまった。
咳がひどくて席を移動されたなんて洒落にもならない。おなかに筋肉が炎症を起こしていた。触ると痛くて飛び上がった。
医師は風邪ともインフルエンザとも言わなかった。おなかの筋肉が痛いのは咳で内圧が掛かるからだと評論した。とうとう血液を採って検査するとアレルギーではない。したがって喘息ではないと消去法で、喘息ではないことを打ち出した。
目が不自由なのは非常に困った。1月25日は75歳の誕生日で自動車の免許更新年であった。夜になると暗闇と夜の境目が分からなくなる。左目は失明状態。教習所の練習は夜になってからだ。井上眼科の若い看護師は正確な免許更新の手法を伝えてくれない。
教習所で、教官から左目で検査を受けることができる。0.7の視力が出れば何とかなるとアドバイスを受けた。あとは片目で視野が出れば大丈夫だと言った。
咳は止まらない。2月25日までに更新を受けないと失効してしまう。というわけで今日は朝から免許更新に行ってきた。両目で0.7以上、片目でも0.3以上は確保できますねと問われた。
いや、一時的に左目視力は0.3を出せない。右目は0.7はクリアできると回答した。それなら視野検査を加えます。
案の定、左目は見えない。右目は0.7をクリアしている。視野検査も大丈夫だった。その場で免許証の発行を受けて、平成33年2月25日まで3年間の自動車免許を手にすることができた。
しかし左目は増殖膜が拡がっているからいづれ目の手術はやらなければという結論であった。放置すると網膜剥離になると言われていた。その上白内障の手術とレーザー光線による毛細血管の出血防止もやることが決まっていた。
それだけではない。昨年の夏に蜂に刺された左腕が、いまごろになってアレルギー現象を起こしてきた。体が温まって左腕全体が無性にかゆいのだ。
だが、私はなぜかへこたれない。何があっても打たれ強いのだ。びくともしないで平気なのである。目の玉に麻酔注射を打って、二本の金属を目玉に打ち込む。一つは照明器具。もう一つは増殖膜を切断するカッターだ。そんな説明を聴いてもヘイチャラなのだ。人類で初めて経験することではない。多くの先人が同じ道をたどって歩いてきている。
ということで私の体には生きている証拠の四重奏曲が奏でられている。
いまはPorgy& Bessを聴きながら仕事をやっている。この曲も生きてきた証の一つである。[Summer time] [Bess you is my woman now] [I love you Porgy]この3曲が好きだ。