この日は、出会ってから19年も親しくお付き合いをしている31歳年下の青年と半年ぶりに会って懇親を深めた。以前、彼とよく行った目指す寿司屋は閉店していた。最近は飲食店の動きが速いねえと雑談を交わしながらこの店に飛び込んだ。
最近はそばを主体として酒の当てをたくさん用意する店が増えてきている。この店もそうであった。
それから、家族の安否や、仕事のことについて情報を交換した。
年齢の差は一切感じない。友とは奄美大島にも一緒に行った。ソウルにも遊びに行った。友は結婚したての夫人を連れて参加した。その思い出が何よりも好きな思い出だと友は言った。
一昨日は、5年ぶりに62才の友人と会った。ここは日本酒と創作料理店である。
寫眞はぶり大根である。
友人はAI(機械学習)の専門家であり、来月には彼が有名ホテルで講演を行う。BMWの話、M340iを買った話はおもしろかった。
家族の安否、そしてAIの話を教えてもらった。当方も下地があるから本質的なものにすぐたどり着けた。
もうこれだけ生きていると、大体のものは食べつくしている。だからおいしいと言われている食べものにも感動が薄い。このことは不幸である。幸せの後に控えている知った不幸なのかもしれない。
だが、知らない幸せよりも、知った不幸の方が良いに決まっている。
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新しい土地の新しい店を探して歩いているが見つからないなあ。何を探しているのかなあ。探しものはあるのかなあ。