この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ。
これは、中国の詩人、于武陵(うぶりょう)が書いた「勧酒」を、作家井伏鱒二氏の感性で日本語の詩に変えた全文である。
昨日、酒を交わした友とは、二人が15才に出会って以来、62年間も刎頚の交わりを続けてきた。
ここは。
レンガ造りの蔵を移築した建物である。
二人は二階に上がってから蔵の建物に入った。わずか5組しか入れない。そういう造りであった。蔵に入れない人たちは、蔵と続いているガラス張りの別棟で一枚のテーブル席に座って庭を見て食事をする造りであった。
ここには旨い日本酒が揃っていた。
二人は、めざし、エビみそなどの肴を何皿か注文し、酒を飲み交わした。口には出さなかったが、二人ともこんな気持ちでいた。それは手を取るようにわかることであった。
{この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ}
友は3年前に仕事から離れた。その時は、勇ましく私に{いつまで仕事をやっているんだ。俺は悠々自適の生活に入るぞ}と言い放っていた。それからクルージングツアーはいいぞと、船旅での自慢話をしていた。
半年前に会った時は、勇ましさのトーンがいささか落ちていた。
そして今回は。
{仕事をやっていなければだめだ。死ぬまで仕事を続けろよ!}と、私を叱咤激励した。
この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ。
私は、友に向かって{足の歩幅がヨチヨチ歩きになってきているぞ。そこから直していかなければだめだ}。
{野菜ばかり食べているんだろう。肉を食べなきゃだめだよ。コメもエネルギーのもとだよ。俺はほぼ毎日豚肉を食べているぞ。俺はジムに通って筋肉を鍛えているぞ。俺は人参養栄湯を飲んでいるぞ。俺はビジネス書を出版するために執筆をしているぞ。俺は南西諸島の学校に一級の油彩画を寄贈しているぞ!俺はサブスク、アップルミュージック・アマゾンミュージックを聴いているぞ。まだ好奇心旺盛だぞ。旨い酒、旨い料理店を探し歩いているぞ。明日の憂いはしてないぞ}と、立て続けに連発銃を発射した。
時間は流れ、個体は衰退していく。だから個体は今の一瞬に生きるしかない。なによりも個体は一瞬にだけ生きているものだ。それを気付いていないだけだ。
花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ。さあ、この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 今の一瞬を喜び合おう。明日のことはだれもがわからないのだから。
こう言ったかどうかは定かではない。正味四合半の冷酒で、二人の酔いは回ってきたのだから。
それからこれまた旨い饂飩を食べて、二人は帰路に向かった。次回もこの店で会うことを約して。
途中の公園には、明日を思い煩うことのない鳥たちが、今の一瞬を精一杯生きている。過去に縛られず、未来に捉われず、今の一瞬(ひととき)を生きている。
友よ。さあ、この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ。花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ。