今年も山茶花が咲き始めた。自然界は自らの命と暮らしを地球のリズムにゆだねている。
17日までに軽井沢へ行きたいと思っていたが原稿作成の業務が終わらず、断念した。11月17日は脇田和美術館の本年度最終日である。来年の6月か7月まで,冬ごもりに入る。
執筆は途中までしか進んでいず、気晴らしに空中庭園に出たら、山茶花が花を開いていた。
花を開くときに、木は水を必要とする。昨日、たっぷりと水を撒いていたことがトリガーになった。
15万字も書いたビジネス書は、出版社の編集者に読んでもらっている。出すにしても文字数を減らしてくれと、言われるかもしれない。もしくはコロナで書店に人が入ってこない。だから出せないと言われるかもしれない。
昨年、六個の柿の種を空中庭園に蒔いた。せんべいではない。果物の柿だ。すると六個とも芽が出てきた。そして1メートル以上も伸びて黄葉した。今年はこれで成長は終わりだが来年はここから成長する。
ここは空中庭園だから、6本の柿の木を植えて万一、庭園が壊れ、落下したら大事故につながることは必致である。空中庭園の真下には地上に出た丸ノ内線が上下線合わせて1分に1電車走っているからだ。
一方、家の庭には3本の柿があって、毎年、実る柿の多さに持て余している。たった今、我が家にはバスタブに山盛りになるほどの柿がある。入った庭師が枝を切るついでに柿の実を採ったものだ。半分くらい3人の庭師が持ち帰ったそうだが、私は鳥に食べて貰えばいいではないかと持論を持っているので、採ることはないと注文を付ける。
そんな背景があるものだから、柿の葉が落ちてから6本とも家に運びたいと家人に伝えればおそらく対立することになるだろう。
種を植えたことが命をもてあそぶようで、芽が出たからには責任を持って育てたいと考えるのは過剰反応であろうか。こうして秋が暮れる。
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