紅葉は美しいと感じていた。毎年、紅葉を追いかけて信州の山奥まで出かけていた。だがある時、なぜ美しいと思うのかと疑問に思うようになった。美しいはずがない。木が冬に備えるため葉を切り落とす前の一工程だ。きっと樹々は悲惨な状態にあると思っていた。
我が空中庭園で、紅葉は悲惨な姿を私に見せてくれた。
「ほら。見なさい。わが身を切り落とすのは痛みを伴うものだよ」と言っているようだった。
紅葉は死のプロセスである。
いや。命をつなぐために葉が落ちる。
脳内探索をすると一本の柿の木さえもいろいろな自分を見せてくれる。柿木も人間も宇宙の造形物だから、まさに相似形なのだ。
私はいまだに自分発見の探索を行っている。その気になれば一木一草に至るまで師匠となって、私に何かを感じ取らせてくれる。