日曜日に夜になって庭に出たら、満開になった杏(あんず)と白木蓮の花が眼に飛び込んできた。
杏はいまから30年ほど前に、埼玉の安行で苗木を二本買って植えた一本である。
その後、庭に母が住む小さな離れを作ったがために、木は離れに隠れて見えなくなった。
見えなかった間に、杏は成長して、桜に似た花を咲かせて杏をたわわに実らせた。
私は、忙しさにかまけて杏のことは忘れていた。
母が死んでからは、離れに行くたびに母を思い出してつらかった。この離れの裏に杏の木がすくすくと成長していたことは知るよしもなかった。
やがて次女が、突然に結婚をするといい、自分の誕生日に母校の教会で結婚式を挙げることが夢であったと言った。言い出したのは6月で、娘の誕生日は11月であった。
今年をはずすと次に誕生日と日曜日が重なる年は十余年先になるといって親を困らせた。公認の恋人がいたので結婚することは理解したが、話が急であった。
私が33歳のときに新築した家は古くなっていた。次女の夢を叶えるために相手の両親を迎えるには、新築する時間がなかった。
そこで急遽、リフォームすることにし、離れを取り壊して庭に戻すこととした。
杏の木は、母の思い出がなくなった代わりとして忽然と出現した。
隣りに咲いている白木蓮は、離れを壊した後に、浦和で木を購入してきたうちの一本である。
思い出すと植木職人の言われるままに隣家との境は山茶花の垣根にして、白木蓮と紫色の花が咲く木蓮を対で庭に植えた。結婚祝いの記念樹ということで紫の木蓮を紅に例えた。紅白の山茶花同様、紅白の木蓮となったわけである。植樹は職人に任せた。植えてから私が引き継いだ。
その後、植木職人は一年に一度、剪定をするために我が家を訪ねるが、私が肥料を専門的にやっていないがために、つつじも山茶花も次第に花をつけなくなった。思い出したように液体肥料をかけるだけでは、思いは花に届かなかった。
梅、杏、木蓮、かいどうだけが、手をかけなくても毎年、花をつける。
結婚した次女は、6年の歳月をかけて女の子を二人産んだ。その二人が風邪で寝込んでいるために家内は応援に出かけていた。その家内から犬の食事を頼むと電話が入った。
私は暗くなってから庭に出て、美しい花の存在を改めて知ることとなった。杏は、もう花びらがわずかに散っていた。肉厚の白木蓮は、満開でところどころ茶色に変色してきていた。
こんなに一所懸命に咲いているのに、愛でてあげることもしない私は、せめて写真に残してあげようとカメラを取りに部屋へもどった。
明日の天気予報は雨だし、この花は今日が盛りであろうとも思った。だからこそきれいなうちに撮影をして残しておこうとカメラを手にしたのであった。
風が吹いて花は揺れている。白木蓮はいつのまにか背が伸びている。
私は、背伸びしてフラッシュを焚いた。
部屋に戻ってから写真を確認すると、どの花も「何故もっと美しいときに撮ってくれなかったのか」といわんばかりにポーズをとっているかのように思えた。
「いままでは見えなかったからといって放置し、いまは見えても放置している」とも言っているように思えた。花は愚痴を語っていた。花を愛でる余裕もなくなっている自分自身を私は恥じた。
私のけはいを察して、リフォームの時に犬向けに作ったサンルームにいる犬達が、おなかが空いたと吠え出した。
犬に食物を与えながら、杏や白木蓮も、専門的に肥料を上げれば木は丈夫になってもっと見事な花を咲かせるに違いないと思った。私は年に一回だけくる植木屋に電話相談をしようとこの夜、思った。翌朝になったら日の光を浴びて輝く花をもう一度撮ろうと思った。普段は考えもしないことであった。翌朝、花を見ると杏は遅かった。かろうじて白木蓮は盛りを留めていた。紫の花が咲く木蓮は蕾も見えなかった、事務所の近くに咲く木蓮はいまが盛りというのに、どうしたことかと思った。これも肥料のせいかと思った。一枚だけ朝の白木蓮を撮影した。庭に出ていた家内が、何をはじめたのかという顔をしていた。