「午後の一瞬」とタイトルがついた油彩画を持っている。洋画家は安徳瑛氏。惜しまれながら夭折した人である。
4号の小さな絵画だが、絵が意味するものは大きい。人を時間的存在と決めて、それ以外は空間的存在であると決めてみると、とある午後の一瞬を切り取ったらそこには人を描くことはできなかったという絵である。
私は先週末、久しぶりに一人で上野の森へ散策に出かけた。西洋美術館で松方コレクションを見ることが主な目的であった。
上野の森は思い出深い。上野の森を散策しながら、私はいつの間にか過去の自分を探していた。何十年前かのここには動物園に行くために親に手を牽かれ歩く幼い私がいるはずであった。青春時代にデイトを重ねた私がいるはずであった。それから、美術館めぐりをしている私がどこかに歩いているはずであった。桜が満開に咲く上野の森を友人と歩く私がいるはずであった。不忍池へ抜ける坂道を歩く私がいるはずであった。
私は、未来から過去にやってきて過去の自分を探しているのであった。上野の森を探せば幾人もの私がいるはずであった。
西洋美術館には、ミレーの「春」が展示されていた。絵画は空間芸術だから時間を超えて存在する。この絵をはじめて見たのは、私が18歳のころであった。それからもう40余年が経過した。「春」の前に立ち尽くしている18歳の私は、そこにはいなかった。ただ40余年前に私が「春」を見たという事実は私だけの脳内現象として存在する。私が朽ちたら誰一人、証明する人はいない。
ちんちょうげが、春の香りを一面に漂わせている美術館の庭に立って、この世はこうした哀しみで溢れていると私は思った。
私は、帰ってから洋画家の「午後の一瞬」の前に立った。
洋画家は一時期、俯瞰図で絵を描いた時期があった。どの絵にもたくさんの人が書き込まれているが「午後の一瞬」には唯一、人が存在していない。馬さえも左足を宙に浮かせたままで停止している。
計測できないほどの一瞬を洋画家が描こうとすれば空間しか描けないのかもしれない。
私が久しぶりに見た上野の森の光景は、洋画家と同じ、一瞬の空間であった。
上野の森を歩くたくさんの人を、私は早や送りのモノクロフイルムで見ていた。あまりの速さに私自身も驚くほどであった。幼児もいた。こどももいた。青年もいた。子供を育てる父親もいた。壮年の人もいた。初老の人もいた。老人もいた。一人の一生が凝縮されていた。私が見たのはたくさんの人ではなく、私自身の姿であった。最後にこの世は脳内現象に過ぎないと思った。
上野東照宮には、名残の牡丹と、満開の白梅と、早咲きの桜が同時に咲いていた。
南の島でよく見る寒緋桜も咲いていた。季節は巡り、人を変えて、上野の森は春の日差しを受けてうららかに在った。
すべてが「午後の一瞬」の出来事であった。