太平洋戦争は敗戦で終了した。敗戦とは言わずに終戦といった。その後一億総懺悔(ざんげ)となった。戦争の被害者であった国民も懺悔をしろとなった。国民という名の被害者は一夜で戦争加害国の一員ということで加害者になった。戦地に赴いて戦争をしてきた兵隊は加害者なるが故に一夜にして被害者になった。戦地で抑留されて戦争裁判で殺された兵隊もいた。夫やこどもを戦争に取られて安否が分からない期間が続いた。やがて戦地から引き揚げてくる兵隊の氏名を知らせるラジオ放送が始まった。この放送の前に必ずテーマ音楽が流れた。童謡「里の秋」がそれである。
戦争は人々を狂気に追い立てた。生きて帰るのではないと兵隊を戦争に送った。その戦争が終わって付き物が離れたように国民は虚脱状態になった。里の秋は田舎の秋である。国民は狂気から解放されて里の秋にずたずたになっていた心を癒された。
事故米を購入した業者は明らかに被害者である。しかし名前を公開されたことで一転して加害者になった。経済を追いかけ、お金を追いかけてきたリーマンが倒産した。リーマンの社員は被害者であるがこの会社に詐欺の疑いがかけられFBIが入ったことで加害者になった。そうした体験をして領土を拡大することやお金を追いかけることは人を幸せにするものではないと誰もが気付いた。
小泉内閣が作り上げた市場原理主義は格差を生んだ。負けたほうは再起不能な状態に追い込まれている。といって勝った方も瞬間の勝ちであって、いつ負けるか分からない状態でいる。人間は勝ち続けることはありえない。風は一方から吹き続けない。定年をした人が田舎暮らしを求めるのは、そういう原理が経験で分かって、「里」に癒されようと考えているからである。太平洋戦争が終わってから63年が経過するが、また里に癒しを求める人が増えたのは、猛烈なる企業戦士の生き方に幸せがなかったことが会社をやめてみて分かったのだろうか。二つの時代は似ているような気がする。
いや、日本はいま少子高齢化にあって次の発展エネルギーが枯渇している。その上、政治は不安定だ。生活必需品の価格が高騰して生活を直撃している。後期高齢者の医療費は高齢者同士でその一部を負担せよとなって、高齢者は反発している。もう官僚がリードする時代はとうに終わっているが日本は新しい時代に生きていくテンプレートを作れないでいる。政治が混乱しても民間はケロっとして仕事をしているというがそうではない。将来構想を作れない無能政治のツケがじわじわと日本を苛んでいる。
こんな時代だからこそ里山が見直され、里がクローズアップしてきている。時代背景を無視して人間の願望は存在しない。
私はここ数年、秋の甲斐路を訪ねている。里がよいのは自然の循環が在るからである。ここにも人工的な物、住いやクルマはあるのだが、生活のリズムが自然と一体になった暮らしがある。人間は時に自然の中に身を置くことが良い。特に山梨は東京と隣接した県である。山深く塩山駅や山梨市駅で下車すれば、里の秋を満喫できる。都会で暮らす人々は競争社会の中で生きている。だから心を癒すには里に触れて里人に触れることである。人は自然の一部であり自然を無視して生き続ける事はできない。里を愛せよ。里人を愛せよ。負け犬では困るがね。