季節には幾つもの物語がある。都会では残暑の汗を拭いている間に季節は秋に向かって駒を進めている。都会で暮らしていると暦と気温でしか季節を感じることが出来ないのは不幸なことかもしれない。
この日、嫁いだ娘が子供を連れて我が家に遊びにきた。この時期は子を育てることが精一杯で身の回りを見渡す余裕がない。娘が庭に出て青空を見上げて、高原はもう秋だろうな。コスモスの花を見たいなあと独り言をいった。この言葉に家内が感応し私にこう言った。「いまからコスモスの花を見に行こう。子育ての時はそんな余裕もないから連れて行ってあげたら・・・」時計は午前10時半。三連休の中日である。前日は知友とドライブをしてきた。なんと往き帰りで交通事故に4件も出合って、ただひたすら渋滞に堪えて500キロを走行して戻った翌日であった。
しかし愛する娘からコスモスの花を見たいと言われれば断る理由はない。ふと思い出したのは佐久のコスモス街道であった。軽井沢は大渋滞のはずだから佐久まで行こう。と私は家人に伝えた。娘もうれしそうに「うん、いいよ」と応えた。そんなわけで急遽、佐久のコスモス街道へ行くことになった。
私はコスモスを見ながら釜山(プサン)から慶州(キョンジュ)へ抜ける高速道路のコスモスを思い出していた。私が初めて慶州を訪ねたのは34年前の秋であった。当時の慶州は国が経済的に成長をしていない時代であったので新羅の都も手が入らずに古いままで観光地化されていなかった。それが古都を古都らしく秋色で彩って私はどれほど感動をしただろうか。日本に仏教が伝来する以前に建立された古寺が、風雪に晒されて石像や狛犬の大部分は丸く磨れていたが、日本の風景にあまりにも似た韓国の古都に強い衝撃を受けて帰国した。それから今の年齢になるまで慶州の古寺をどれだけ訪問しただろうか。
コスモスが街道沿いに花を咲かせることは自然発生ではない。だれか意思を持った人の思いで実現する。韓国の高速道路も、ここ佐久のコスモス街道も誰かが種を植えたのである。やがて花が咲くようになって人が集まり始めると、この街道にコスモス街道と名前が付いた。そして駐車場が出来てクルマを停めてコスモスの花を愛でることができるようになった。初めはたった一人の思いで始まったことであった。おかげで私達は初秋の高原で思い切りコスモスを楽しむことが出来た。娘はこども時代に戻ったようにして咲く花と突き抜けるような秋の空を満喫した。
娘は高校を卒業してから5年間英国の大学へ留学した。そんなわけで結婚すると決まったら、しきりに山口百恵が歌った秋桜(コスモス)を口ずさんでいたのは両親と一緒に暮らす時期が短かったせいかもしれない。私はコスモスを見ながら室生犀星の詩の一節「みそらの花を星といい、地上の星を花という」を教えてあげた。
この道は内山峠を越えて下仁田から富岡そして高崎へ抜ける道でもあった。荒船街道にもつながっている道で途中には牧場もある。私がかつて良く走った道である。帰りは軽井沢へでて食材を仕入れてと思ったが下仁田にも産直店があることを思い出してそのままクルマを走らせた。娘も家内も家族のために産直店で相談しあいながら夢中で買い物を続けていた。この様子にはコスモスも地上の星もなかった。しかし私はこうして思いもかけず娘が発した独り言で、今年もまた秋の花を確認することが出来たわけだ。季節は天・地・人のすべてを駆使して時の移ろいを人に教えてくれる。人はもちろんのこと、季節さえもまた移ろう存在である。だから人はその時々を歓びで満たすことだ。私にとって移ろいを確認することは、生きている歓びの確認作業なのである。