目黒の一角に東京都庭園美術館がある。「朝香宮邸」であったこの建物はアールデコ建築の粋を集めた名建築物である。一時期西武が所有していたものだが、今は東京都の美術館になっている。庭園美術館で舟越桂(ふなこしかつら)氏の彫刻展「夏の邸宅」が開催されている。
私は知友とこの彫刻展を見てきた。そのとき入手した小さな図録を、感想を認めて恩師のS先生に送った。S先生は私が中学校から高校一年までの現代語の教師であった。その後麻布に移り、大学教授になり現代文学の重鎮としていまも次々と執筆を続け著書を出している。私はS先生から文学のおもしろさを学んだ。私も歳を経てS先生の安否を探ろうと検索エンジンで調べたら小説家の宮部みゆき氏と対談しているサイトを探し当てた。出版社から住所を聞いて練馬の自宅に訪問した私をS先生は良く憶えていただいていた。50年振りの再会となり、一期一会の交流は今も続いている。
上の写真が舟越桂彫刻展「夏の邸宅」入場券である。アールデコの建築に舟越桂氏の彫刻は見事にマッチングし、感動的でさえある。だから人気は高く9月23日までの会期を待たずして図録は売り切れてしまった。
舟越桂氏の新しいシリーズ「スフインクス」は、人間ではなく神である。神の顔を作る途中のプロセスが展示されていたのだが、私は神の顔と人間の顔の違いを探していた。人間は行動し子を産み育て死んでいく時間的な存在。神は人間を見つめ続ける存在。と私は感じた。そのことを認めてS先生に図録を送った。
折り返しS先生からていねいな信書が届いた。
「舟越氏についてはほとんど名前しか知らなかったのですが、ご提示頂いた資料によって少なくともアプローチする角度はわかったように思います。貴君のいうとおり氏は神への志向を秘めているように感じますが、その神とは<完全>に通ずるものというより<永遠>に通ずるものとして認識されているように思います。<完全>と<永遠>は、当然通じているが同じではなく、氏が<完全>より<永遠>をめざしている証拠は、何よりも作品に見える豊かな具象性そのものにあります。氏の作品はいわば具象のまま抽象精神、あるいは形而上的なものに突き抜けようとしています」
私は65歳になってもなお、こうして恩師から教えを受けている。なんたる幸せであろうか。
舟越氏は朽ちる木に永遠を刻んだ。空間芸術は空間的な存在である。したがって時間を超えて存在できる。しかし空間的な存在は時間的な存在者の手で瞬間的に消されてしまう存在でもある。人間は不完全でかつ時間的な存在である。だからこそ慈しみの気持ちが生まれる。人間にはたくさんの出会いと別れが連続する。だから人間に生まれてよかったのだ。私はS先生と再会した歓びを一人静かに噛みしめている。