過疎の島は廃屋の島でもある。私達は与路の昔を想像して語りながらゆっくりこの道を歩いた。田町さんが突然やぎがいると言った。私には彼女が家畜の何が聞こえたのか感じたのか分からなかった。においなのか、音なのか。家畜のざわめきなのか。都会で住む私にはわからなかった。
そういえば、田町さんは本能的な鋭さを持っていた。海を見るなり魚がたくさんいると言ったが私には見えなかった。森に入ると頭上を見上げてすぐにあそこの枝先に鳥が止まっていると言い、鳥の名前まで言い当てたが私には凝視しても木の葉しか見えなかった。奄美群島のガイドを12年もやって、磨き上げられた獣に似た感覚であった。
田町さんのいうとおり、一軒の廃屋にやぎはいた。母親は突然の侵入者に驚き、懸命にこどもをかばった。こどもは母親の陰に隠れた.短いロープでつながれた母親は自由に動けなかった。けれども精一杯にこどもをかばった。田町さんは自分のこどもに接するように「驚かせてごめんね。だいじょうぶよ。すぐに出るからね」と声をかけた。私は小やぎの愛らしい姿に目を細めていた。母親の驚きぶりは変わらなかった。過疎の島では、見ず知らずの人に出会うことはなかろう。いつも自分達を世話する一番信頼する人たちしか見ていないわけだから。けれども琉球弧にはやぎを食する文化がある。このやぎは一番信頼する人の手でつぶされて解体される運命にある。
私達はまた散策を続けた。足元に花が落下していた。これは夜に咲く花。私はこの花を沖縄で見ていた。多くの花は虫に受粉を手伝ってもらわなければいけない。そのため競争の多い昼には咲かず、夜を待って咲くのである。そのため月光でも虫に識別してもらうように花は白く、 虫をおびき寄せるフェロモンに似た匂いを放つ。朝になるとこうして落花するのである。
亜熱帯の島には、温帯にはない植物がたくさんある。ちなみに上の写真はバンシロウの木で、この葉を煎じて飲むと血糖値の上昇が抑えられるというものである。
やがて私達の目の前に大きなガジュマルが現われた。「ガジュマルは親を殺す木と言われています」と泰さんが言った。「親木から出た子木が、こうして親木を絞め殺してしまうのです。この木もそうでしょう」泰さんは説明を加えた。初めて聴いた解釈であった。
強い台風から身を守るガジュマルの智恵がこの木を育て上げたのかもしれない。大地を掴み取るような根と、次々に大地に根を下ろす子木。この木は大木ではなかったが非常に安定をしていた。これなら台風がきてもびくともしないだろう。「永遠に存在するように見えますがガジュマルも決して不滅ではないのです」泰さんは私の心を見透かすように、ガジュマルの木に向かって語りかけた。