与路島には小学校と中学校が一つの敷地にある。別に与路島に限ったことではない。加計呂麻島でも同じことだ。珊瑚の石垣に囲まれた予路の集落を歩いていると突然、校舎にぶつかった。大きな校舎であった。休日であったが若い先生が一人、校庭で作業をしていた。私たちは校内に入って先生に声を掛けた。
先生は、私から見れば若いのであって、実は鹿児島市から家族と一緒に赴任した東教頭先生であった。
『生徒は何名さんいらっしゃるのですか?』私の質問に「小中学校で8名です」と東教頭先生はすまなそうな顔をしながら答えた。「そのうち私の子供が2名おります」
『小学生で最小学年は何年生ですか?』「三年生です」『その後は?』「今年一人生まれました」
『その子が入学するまで6年掛かりますね。いまの小学校三年生の子は中学三年生か中学を卒業してしまいますね』
東教頭先生は何とかしなければいけないのですと言った。これが過疎地の真実である。奄美大島でさえも生徒がいなくて廃校になっている。これほどの大きな校舎があるのだから、昔の予路島には、さぞかし人口が多かったのであろう。
「生徒は素直で本当にいい子ばかりです」東教頭先生の話に「私も心からそう思います」と、思い切りの相づちをうって「休日なので学校が休みで生徒さんと会えないことが悔やまれます」と告げた。それから校舎の案内を請うて、音楽室と理科室を見学した。三味線は一人一台であった。奄美の児童は小学校で、世界で奄美しか存在しない島唄を学ぶ。
この傘は文部科学大臣賞を受賞した生徒の発明です。
泰さんがこの発明を分かっていた。新聞に大きく取り上げられたらしい。隣の黄色の長靴はハブが逃げる靴らしいが何故逃げるのか理由は聞き忘れた。小中学校あわせて8名の生徒数で、文部科学大臣賞をとるような発明ができるなんて、なんと素晴らしい教育をしているのだろうかと、私は予路小中学校が、東京にあればよいのにとまじめに思ったものである。